〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/21 (金) 鹿 と 瓢 (一)

秀吉が、家康の池田勢追躡ついじょう を知ったのは同じ九日の五ツ半 (午前九時) 近かった。
それまで秀吉は、楽田にあって、しきりに小牧周辺の徳川勢に小ぜりあいを試みさせていた。むろん陽動で、味方の三河侵入を家康にさと らせまいとしているのである。
「── 家康が、今日の昼まで気づかなんだら、面白いことになるが・・・・」
起き出すと秀吉はめずらしく運動のためと称して馬を曳かせ、陣屋の周囲を二めぐりほどして戻って来た。
彼の考えでは、味方の中入りももはや今日は知れずにいまい。知れれば必ず家康は動き出す。動き出したときがわが腕の見せどころだと思っていた。
家康は、本国の危急を知らせれて動顛どうてん している。それに追い討ちをかけてやるのだから、
(これはしずたけ の二の舞じゃ)
いかに野戦の巧妙な家康も、立ちどまって戦う機会が見出せなければ、佐久間玄蕃げんば 同様の苦境に追い込まれて、収拾しゅうしゅう できない崩れ方をしてゆこう。
(決戦は今日だぞ!)
陣屋へ戻って食事をしながら、秀吉はかたわらの石田三成を見やって、
「今日の昼には、勝入も三河へ入っていようでな」
と、ひとり言のように言った。
「むろん入っていましょうが、家康はまだ知らずにおりましょうか」
「知っていて動かずにおれるものか。わしとて、大坂城が攻められていると聞かされたら、こうして湯づけをすす ってはおれぬわい」
笑いながら、膳を下げさせ、それから、また幽古を呼んで、あちこちへの手紙を書かせにかかった。
と、そこへ二重掘の日根野備中のもとから、家康が、すでに小牧山を降っているむね の知らせを受けたのだ。
「なに、家康がおらぬと!?」
そう言った時には、秀吉はもう席を蹴るようにして起っていた。口述を受けて、筆を走らせていた幽古が、
「それでは、この書面は、いったん中止にいたしまして・・・・」
そこまで言った時には、姿はもう仮り屋の中にはなかった。
今日ははじめから秀吉も出陣する気でいたのだ。おそらく手紙の口述を終えたのち、竜泉寺へむけて出発するつもりだったのに違いない。
秀吉自身が、出発したあとの配置は決まっていた。約六万の兵を、いぜん厳重に小牧山の周囲に残して、秀吉は、堀尾ほりお 吉晴よしはる 、一柳末安、木村隼人らと共に、その自慢の旗本衆をひっさげて、もう一度賎ケ岳七本槍の功名こうみょう を夢想していたのに違いない。
それが少しばかり狂いを生じて来た。
(戦場では一刻の狂いが、勝敗ところを変える大事になる・・・・)
秀吉は陣屋を出ると、
「行くぞオー」 と、叫んだだけで馬に乗った。自慢の馬印も、槍も、旗も、秀吉の姿が、疾風を いて駆け出してから動きはじめた。信長の田楽狭間でんがくはざま におもむくときの出陣がこれであったが、はじめはただ秀吉一騎・・・・
例の唐風な、馬藺ばりん の後立ての兜に、赤地錦の派手な陣羽織姿で、後も見ずに竜泉寺をめざして駆けつづける。
そんなときの秀吉は、全く何も考えない若者のようでさえあった。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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