〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/17 (月) 勝 入 戦 法 (十)

いかに弱小な敵であっても、襲いかかって来るものはあしらわ・・・・ ねばならぬ。
(いっそのこと踏み潰して通ってゆくか? それとも少人数を割いて残してゆくか・・・・?)
その二途しかないのだが勝入は、ここでそのようなことを考えさせられるのが忌々いまいま しくてならなかった。
彼の胸裏へ昔の夢が甘くつばさ を広げていたときだけに、いっそう小癪な気がしたらしい。
「城が見えまする」
「おお見えて来たぞ」
と、誰かが言った。
「なに、城などというほどのものかあれが、。大百姓の屋敷ほどもないわ。よし、あの空き地へ いていって馬をとめろ。残す者を決めてやろう」
しかしそこで、どれだけの兵隊を割いて行くかが、また勝入のかん にさわった。
岡崎城にある本多作左衛門の剛勇を知っているだけに、このあたりへ残す兵が惜しかったのだ。と、言って、相手が三百とあれば、味方はその二倍か三倍の兵を残さねばなるまい。
(誰をこのにとどめるか・・・・)
その事を考えていて、勝入は、敵の城が見えるということは、すでに、敵の視野に味方も入っているということを忘れてしまっていた。
「よし、残す者を決めよう。半右衛、清兵衛、ここへ来い」
言った時に 「あっ!」 と、馬の口を取っていた足軽がぶざまに道をふみはずし、同時に馬が、ガクリとひざ をついてしまった。いや、、膝をついたと思った瞬間に、ダダーンと一発、明けかけた天地をゆすって銃声がひびいたのだ。
「おう! 馬がやられた」
「敵じゃぞ」
「殿を・・・・」
勝入は、自分の前にサッと人垣の作られてゆく中で、ダダーンと、また七、八挺の銃の火を噴く音を耳にした。
「うぬッ!」
さすがに、見苦しく顛倒てんとう はしていなかった。
手綱をつかんだまま地上へ立って、勝入は憤怒のやり場のないままに、はげしく倒れた馬の肩を蹴っていた。
「やられたわ。肩から胸を射ぬかれている。死ぬわいこの馬は」
馬は、がっくりと両脚を折ったまま悲しげにその主を見上げて、立ち上がろうともがいている。
「半右衛!」
「はッ」
「清兵衛!」
「ここにおりまする」
「こうなっては許せぬ。このままでは幸先さいさき 悪しとして士気にもかかわろう。朝の血祭り、岩崎城を踏み潰して通ろうぞ」
「では、このまま応戦して・・・・」
「応戦ではない。血祭りにあげるのじゃ。一人も残すな。すぐにかかれ」
「父上・・・・」
と、二男の三左衛門輝政が何か言ったが、それは興奮しきった勝入の耳には入らず、やがて、敵の発砲して来たあたりのやぐら めざして、味方の銃隊が、続けさまに弾丸を打ちだした。
ダダーン。
ダダーン。
しだいにあたりは明るくなり、おどろ いて飛び立つ小鳥の群れが、黒ゴマを いたように空に見えた。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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