〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/15 (土) 勝 入 戦 法 (六)

「よし、みなの思案はよく分った!」
しばらくして家康は口を開いた。
誰あって、彼の心にさからう者はいない。その意味では、家康は世にも仕合わせな大将だった。
「思案が決まれば急がねばならぬ。よいかの、敵は二万に近い大軍、味方はそのなか ばじゃ。よって岩崎城の救援はしばらく先のこととして、まず、秀次が軍勢を追尾する」
一座はシーンとして、しばらく呼吸の音も聞こえなかった。
「この追尾は決して長びいては相ならぬ。われらが秀次を追って出たと分れば、筑前もまた、すぐに決戦を挑んで、われらのあとを追いかけよう」
「・・・・・・・」
「したがって、追尾の途中で臨機応変、三河武士の妙味を、思うざまご馳走してやるのじゃが・・・・さて」
と、もう一度改めて一座を見廻してから、
「先鋒の右備えは大須賀康高、その方に命じよう」
「は・・・・それがしに先鋒を?! ありがたく存じまする」
「よいか、右備えじゃぞ。左備えの先鋒は榊原小平太康政」
「はッ。心得ました」
「水野忠重は、せがれ 藤十郎勝成と共にこの先鋒に先立って支隊の総大将。支隊の案内は丹羽氏次。その方、充分に領民の去就きょしゅう に心を配りながらいたせ」
水野忠重はこのふしぎな言葉のアヤ・・ にびっくりして、
「あの先鋒に、先んじて・・・・で、ござりまするか?」
「知れたことじゃ。その方父子と丹羽氏次にて四千五百。その後へ、康政と康高じゃ」
「殿!」 と、本多忠勝は少しせき込んで、
「すると、この追尾軍の総大将は・・・・総大将は、誰でござりまする」
「なに、総大将・・・・知れたことを訊くな忠勝。言うまでもなく、この家康と、信雄どのじゃ」
「えっ?! 殿、おんみずから山を下って」
家康はわざとそれには取り合わなかった。はじめは彼自身も、この出撃軍の総大将は酒井忠次か、本多忠勝に命じようと思っていたのだが、途中で考え方が変わっていった。
家康が小牧山にあると知れば、おそらく秀吉も楽田をうごくまい。ここでは一度秀吉を野戦に誘い出し、疾風しっぷう 迅雷じんらい を誇る秀吉と、機動の妙を競ってみる気になったのだ。
「わしのもとへは、松平家忠、本多康重やすしげ岡部おかべ 長盛ながもり 、それに甲州の穴山衆を引きつれる」
「では、この小牧の本陣へは!?」
「忠勝、その方は忠次、数正、定盈さだみつ らと共に、ここでしかと筑前が動きを見張れ。これも臨機応変。もし筑前が動いた節は、誰がその後を追おうと指図はせぬぞ。相分ったか」
再び一座はシーンとなった。
家康自身が、陣頭に立とうという・・・・そのはげしい決意が、みなの心に稲妻のように緊張をもたらしていったのだ。
「ハハハ・・・・」 と家康は笑った。
「こんどの戦は、のる・・そる・・ かじゃのう。久しぶりに・・・・わしが出たと知ったら、筑前もじっとはしていまい。派手好きな気性だからのう」
「フーム」
と、数正が吐息といき をした。彼だけは家康が何を考えているのか察したらしい。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next