〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/15 (土) 勝 入 戦 法 (五)

家康は慎重派の石川数正二、事もなげに笑ってみせたが、しかし、内心では決してこの戦を楽観してはいなかった。
楽観どころか、かっての日の見方ケ原以上に考え抜いた対陣の、これは勝敗を決するかぎ になりそうだと思っている。
すでに不惑を越えているので、表面はどこまでもおだや かに衆議採用と見せかけてゆきながら、評定を開く前から自分の肚はしっかりと決まっていた。
彼は、ずらりと並んだ部将の、それぞれに昂ぶった表情を見わたして、
「いよいよ動きだしたが、どうしたものかの」
と、探るように言った。
「敵の先鋒、丹羽氏次が留守を狙って、岩崎城に攻めかかるに違いない。まずこれを救援せずばなるまいかのう氏次」
すると、当の丹羽氏次よりも先に、
「それでは後手ごて になりまする」
と、刈谷の水野忠重がさえぎった。
「この場合に丹羽どのには気の毒ながら、岩崎城は見捨てて、敵のしんがり、三好秀次が軍を追尾ついび するが上策かと心得まする」
家康はそれには応えず、
「氏次、こなたの城には、いまどれほどの人数が残っていたかの」
「はい、弟、氏重うじしげ 以下、約三百にござりまする」
「三百か・・・・先鋒の池田勢は六千はあろう。六千と三百か・・・・」
「おん大将!」
「見殺しにはなるまい。それでは不実じゃ」
「おん大将! そのお言葉だけで、氏次、充分にござりまする」
丹羽氏次は、その場の空気にあお られて、 かれたように言ってのけた。
「あのような小城など、いつでも取り返せまする。それよりは、水野どのの仰せのごとく、この場合は戦に馴れぬ三好秀次が軍に追いつき、これを叩いて、敵の前進を喰いとどめるが焦眉しょうび の急かと心得まする」
「なるほど、秀次が軍を叩けば、勝入も武蔵もそのままは進めぬ。ぜひなく引っ返して助けようとするであろうな」
「そのとおりでござりまする。そうして、引き返すを取っておさえて、一気にこれを蹴散らすが上策にござりまする」
「そうか。なるほどのう・・・・康政はどう思うぞ」
「先陣・・・・うけたまわりとう存じまする」
「先陣・・・・何の先陣じゃ。気の早い」
「秀次が追尾、まっ先にこの小平太を」
康政は家康の肚を見抜いていて、話を早く岩崎城のことから離そうとするのである。するとこんどは大須賀康高が、身をのり出した。
「先陣はそれがしに!」
「いや、この小平太が」
「あいや、ご両所ともお待ち下され。この先鋒は、この地に案内の明るい水野忠重がうけたまわりとう存じまする」
家康は、わざと眼を閉じて、
「そう性急に申すな、思案が乱れる」
「その事じゃ!」
すかさず本多忠勝が口をはさんだ。
「秀次を追いかけたらさらに後から筑前もわれらを追って出よう。その辺のこと充分にご思案あって、殿の裁断を仰ぐばかりじゃ」
家康は、眼を閉じたままうなずいた。心憎いほど、彼の意志のよく通ずる家臣たちであった。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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