家康は慎重派の石川数正二、事もなげに笑ってみせたが、しかし、内心では決してこの戦を楽観してはいなかった。 楽観どころか、かっての日の見方ケ原以上に考え抜いた対陣の、これは勝敗を決する鍵
になりそうだと思っている。 すでに不惑を越えているので、表面はどこまでも穏
かに衆議採用と見せかけてゆきながら、評定を開く前から自分の肚はしっかりと決まっていた。 彼は、ずらりと並んだ部将の、それぞれに昂ぶった表情を見わたして、 「いよいよ動きだしたが、どうしたものかの」 と、探るように言った。 「敵の先鋒、丹羽氏次が留守を狙って、岩崎城に攻めかかるに違いない。まずこれを救援せずばなるまいかのう氏次」 すると、当の丹羽氏次よりも先に、 「それでは後手
になりまする」 と、刈谷の水野忠重がさえぎった。 「この場合に丹羽どのには気の毒ながら、岩崎城は見捨てて、敵のしんがり、三好秀次が軍を追尾
するが上策かと心得まする」 家康はそれには応えず、 「氏次、こなたの城には、いまどれほどの人数が残っていたかの」 「はい、弟、氏重
以下、約三百にござりまする」 「三百か・・・・先鋒の池田勢は六千はあろう。六千と三百か・・・・」 「おん大将!」 「見殺しにはなるまい。それでは不実じゃ」 「おん大将!
そのお言葉だけで、氏次、充分にござりまする」 丹羽氏次は、その場の空気に煽
られて、憑 かれたように言ってのけた。 「あのような小城など、いつでも取り返せまする。それよりは、水野どのの仰せのごとく、この場合は戦に馴れぬ三好秀次が軍に追いつき、これを叩いて、敵の前進を喰いとどめるが焦眉
の急かと心得まする」 「なるほど、秀次が軍を叩けば、勝入も武蔵もそのままは進めぬ。ぜひなく引っ返して助けようとするであろうな」 「そのとおりでござりまする。そうして、引き返すを取っておさえて、一気にこれを蹴散らすが上策にござりまする」 「そうか。なるほどのう・・・・康政はどう思うぞ」 「先陣・・・・うけたまわりとう存じまする」 「先陣・・・・何の先陣じゃ。気の早い」 「秀次が追尾、まっ先にこの小平太を」 康政は家康の肚を見抜いていて、話を早く岩崎城のことから離そうとするのである。するとこんどは大須賀康高が、身をのり出した。 「先陣はそれがしに!」 「いや、この小平太が」 「あいや、ご両所ともお待ち下され。この先鋒は、この地に案内の明るい水野忠重がうけたまわりとう存じまする」 家康は、わざと眼を閉じて、 「そう性急に申すな、思案が乱れる」 「その事じゃ!」 すかさず本多忠勝が口をはさんだ。 「秀次を追いかけたらさらに後から筑前もわれらを追って出よう。その辺のこと充分にご思案あって、殿の裁断を仰ぐばかりじゃ」 家康は、眼を閉じたままうなずいた。心憎いほど、彼の意志のよく通ずる家臣たちであった。
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