〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/15 (土) 勝 入 戦 法 (四)

清延が諸将を呼びに行っている間に、さらに一人、山を下って行く人夫達と逆行して、仮り屋にたどり着いた足軽風、三十がらみの男があった。
「それがしは服部平六と申す伊賀の者、お館さまに直々じきじき 申し上げたい儀があって駆けつけました」
柵門を固めていた石川数正の手の者が、その旨をただちに数正に取り次ぐと、数正は自身で、その男を家康の前へ連れて行った。
「かねて、森武蔵守の陣中に忍ばせてあった服部平六、火急言上したきことあり、只今、馳せつけてござりまする」
数正がそう言うと、家康は、戦評定の用意のととのった仮り屋の広間で、
「待っていた。近う」
と、自身で手招いた。
「勝入が戦法、ほぼ察してはいたが、動きだしたようじゃの」
「仰せのとおり、昨日筑前どのよりお許しあり、夜に入ってひそ かに南下、三河への通路遮断しゃだん をめざしておりまする」
「して、勝入、武蔵が、第一の目標は?」
「隠密に決しましたことなれば、詳細には知り得ませぬが、まっ先に、岩崎の南岩崎城をめざし、これを攻略して長久手より三河に入るものと心得まする」
「すると、総大将は勝入か、それとも堀秀政か?」
「それが、三好孫七朗秀次どのにござりまする」
「なに三好秀次・・・・と、申せば、筑前がことに愛している甥御おいご じゃが・・・・」
「はい。その孫七朗どのが、総帥そうすい殿軍しんがり にござりまする」
「フーム」
家康は、かたわらに控えている石川数正を見やって、ふっと唇辺に笑いをうかべた。
「そうか。そう聞けば、もはや疑う余地はない。よくぞ知らせた。退って休め」
服部平六は、しかしすぐには立とうとせず、
「領民どもは、みな、当方に味方してござりまする。と、申すは、恩賞狙って敵に通じた牢人どもが、われらに従わねばそのままにはさしおかぬなどと、刃物三昧ざんまいおど しまわったため、領民はひどく怒っておりまする」
「分っている」 と、家康はうなずいた。
「森川権右衛門と申す者の同類で、北野彦四郎という牢人であろう」
「それを、あの、お館さまはご存知で・・・・」
「知らいで戦がなるものか。今後とも、よく探れ」
そして、服部平六がびっくりして去っていくと、家康はもう一度数正と顔を見合って、フフフと笑った。
「これは小さな誘いではないようだの数正」
「仰せのとおり、総帥が秀次どのであれば、戦況いかんでは、必ず筑前みずから出て参るに違いござりませぬ」
「とすると、いよいよ、この家康と筑前が、あい まみ えるときが来たわけじゃ」
「殿!」
「なんじゃ数正」
「くれぐれもご軽挙なさらぬよう・・・・」
「たわけめ、戦場でこの家康が、うぬの指図を受けるものか」
「・・・・でもござりましょうが、ご用心のうえにもご用心を」
そこへ、水野忠重を先登にして、丹羽氏次、酒井直政、大須賀康高、本多平八郎の順で、庭先からやって来た。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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