清延が諸将を呼びに行っている間に、さらに一人、山を下って行く人夫達と逆行して、仮り屋にたどり着いた足軽風、三十がらみの男があった。 「それがしは服部平六と申す伊賀の者、お館さまに直々
申し上げたい儀があって駆けつけました」 柵門を固めていた石川数正の手の者が、その旨をただちに数正に取り次ぐと、数正は自身で、その男を家康の前へ連れて行った。 「かねて、森武蔵守の陣中に忍ばせてあった服部平六、火急言上したきことあり、只今、馳せつけてござりまする」 数正がそう言うと、家康は、戦評定の用意のととのった仮り屋の広間で、 「待っていた。近う」 と、自身で手招いた。 「勝入が戦法、ほぼ察してはいたが、動きだしたようじゃの」 「仰せのとおり、昨日筑前どのよりお許しあり、夜に入って密
かに南下、三河への通路遮断
をめざしておりまする」 「して、勝入、武蔵が、第一の目標は?」 「隠密に決しましたことなれば、詳細には知り得ませぬが、まっ先に、岩崎の南岩崎城をめざし、これを攻略して長久手より三河に入るものと心得まする」 「すると、総大将は勝入か、それとも堀秀政か?」 「それが、三好孫七朗秀次どのにござりまする」 「なに三好秀次・・・・と、申せば、筑前がことに愛している甥御
じゃが・・・・」 「はい。その孫七朗どのが、総帥
で殿軍 にござりまする」 「フーム」 家康は、かたわらに控えている石川数正を見やって、ふっと唇辺に笑いをうかべた。 「そうか。そう聞けば、もはや疑う余地はない。よくぞ知らせた。退って休め」 服部平六は、しかしすぐには立とうとせず、 「領民どもは、みな、当方に味方してござりまする。と、申すは、恩賞狙って敵に通じた牢人どもが、われらに従わねばそのままにはさしおかぬなどと、刃物三昧
で脅 しまわったため、領民はひどく怒っておりまする」 「分っている」
と、家康はうなずいた。 「森川権右衛門と申す者の同類で、北野彦四郎という牢人であろう」 「それを、あの、お館さまはご存知で・・・・」 「知らいで戦がなるものか。今後とも、よく探れ」 そして、服部平六がびっくりして去っていくと、家康はもう一度数正と顔を見合って、フフフと笑った。 「これは小さな誘いではないようだの数正」 「仰せのとおり、総帥が秀次どのであれば、戦況いかんでは、必ず筑前みずから出て参るに違いござりませぬ」 「とすると、いよいよ、この家康と筑前が、相
見 えるときが来たわけじゃ」 「殿!」 「なんじゃ数正」 「くれぐれもご軽挙なさらぬよう・・・・」 「たわけめ、戦場でこの家康が、うぬの指図を受けるものか」 「・・・・でもござりましょうが、ご用心のうえにもご用心を」 そこへ、水野忠重を先登にして、丹羽氏次、酒井直政、大須賀康高、本多平八郎の順で、庭先からやって来た。
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