〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/15 (土) 勝 入 戦 法 (三)

「申し上げます! 一刻を争う時と分りました。申し上げます!」
百姓が急き込んで身を乗り出すと、家康は大きくうなずいた。
直答じきとう してよい。そなたは見たか敵勢を」
「はい。たしかにこの眼で見ました。旗印は、池田勢、つづいて森武蔵守と見受けました」
「して、ただちに、知らせに馳せつけたか」
「いいえ、もしも敵の陽動に乗せられてはと、それからあちこち探りましてござりまする」
「あちこちとは・・・・?」
「はい。大草村の森川権右衛門、村瀬むらせ 作右さく もん など、一揆を企て、しきりに三河をうかがっておりましたゆえ、それと心安い向きに探りを入れてござります」
「森川権右衛門、村瀬作右衛門・・・・」
「はい。すると森川方へ親しく出入りする北野彦四郎なる者が、私めにこう告げました」
「森川方へ出入りする北野彦四郎・・・・いずれも牢人ろうにん じゃな」
「仰せのとおりにござりまする」
三十二、三歳の百姓は陽にやけた実直そうな面に、せいいっぱいの気負いを見せて、続けさまにつば をのみこんだ。
「このたび、森川どのは、仲間をあげて羽柴勢に味方して三河へ討ち入りと話は決まった。橋場筑前どのは大変お喜びなされて、森川どのに三河で五万石下さる旨のお墨付すみつき きを渡された。われらもそれを見てきたゆえ、こなたも村人を語らってお味方するがよい。わしも方々説きまわると・・・・」
「ほう、五万石の約束で三河へのう」
「は・・・・はい。それだけではござりませぬ。この由を村人たちに知らせて廻れ。そして、われらに味方せぬと申す者があったら、用捨ようしゃ はいらぬ斬り捨てよ。いや、自身で斬ることがならずば、この北野彦四郎に申し出よ。それがしが片っぱしから首をはねてやる・・・・そのように申して、近村を強談ごうだん して廻りだしてござりまする」
家康は、その間、まばたきを忘れたように百姓を見つめていた。
これが事実ならば、ついに敵は業を煮やして挑んで来たことになる。しかもそれは、家康が何度か、 「あり得る場合」 を考えた三河中入りの手であった。
(敵が中入りを企てて来るならば、見方も小中入りをするまでのこと・・・・)
そこへ、信雄が、清延に案内されてやって来た。
「その方が、敵勢南下の知らせをもたらして参ったというのは!?」
信雄は、家康とは違った意味で狼狽していた。彼はすでに、家康の協力なくして勝利のないことを身にしみて知っている。
それだけにここで、家康に三河へひきあげると言われることは何よりも怖ろしいことであった。
「たわけた事を申して来て、みなをたぶらかすと許さぬぞ」
家康はそのとき、もう清延をさし招いて、次の手配を命じていた。
「丹羽氏次と、水野忠重を呼んでくれ。それから、この山にある賦役ふえき の領民は、すべて山を下ろさせるよう」
長久手 長湫ながくて にある岩崎城の丹羽氏次と刈谷城の水野忠重とは、このあたりの地理人情に最も詳しい者であった。領民の下山は言うまでもなく秘密保持のためであろう。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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