〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/07 (金) 犬 山 思 案 (九)

勝入は狼狽した。一番怖れていた事態が、とっさに眼の前で重なりあった。
放火の罪を、やはり元助は身一つに引き受ける覚悟だったのだ。
「この元助が命を下さず、だれが、あのような事をするものか。さ、斬られませえ」
「たわけめ! こなた、この勝入を盲にする気かッ」
「これはしたり、父上と話し合うても分らぬこと・・・・というより、筑前さまに堅くとめられていることを、わざわざ相談するほど元助は血迷うてはおりませぬ。さ、斬って軍律を正したうえ、この戦、並の戦ではないことを、しかとお悟りなされませ」
「な、な、なんと言う!」
勝入は白刃を持ったまま躍りあがって伊木忠次の名を呼んだ。
「忠次! この逆上者を引っ立てよ。このへそ 曲がりめは、いったん言い出すと理も非もなくなる れ者じゃ。早く引っ掴んで謹慎きんしん させよ」
その声の終わらぬうちに、
「忠次、只今それへ・・・・」
幔幕の外で答えて、
「起てッ!」
と、誰かを引っ立てて来る気配であった。
元助もきっと顔をあげてその方を見やってゆく。幕舎の中へ入って来たのは、伊木忠次と、その家来にうしろ手に縛られている、二十三、四の見知らぬ武者であった。
「立てッ、不埒ふらち 者め!」
伊木はもう一度その武者を叱りつけて、それから勝入に向き直った。
「小牧周辺の村々に火を放った不届き者、引っ捕らえて召し連れました。ご油断はなりませぬ。若殿元助どのが仕業しわざ と見せて、こやつは敵の廻し者にござりまする」
「なに!? 敵の廻し者じゃと」
「されば、その名までついに白状いたしました。榊原康政が手の者にて為井助五郎と申す奴」
伊木忠次は 猛高たけだか にそう言うと、
「この場でお手討下されませ。さもないと、どのような小細工を、向後こうご も続けるか分りませぬ。あの高札と言い、放火といい・・・・」
「よしッ・・・・」
勝入は、忠次がなわ を解いて、茫然としている武者を足もとに引きすえると、さっと白刃をふりかぶった。
「あっ!」
と、人々は息をのんだ。
あまりに勝入の斬り方が早かったのだ。
自慢の太刀の下には、すでに武者の首がころがり、伊木忠次は、遮二無二元助を幕舎の外へ引き立てている。
小姓が走り寄って勝入の太刀を拭き終わったときには、忠次の他の家臣が、切り捨てられた武者の遺骸いがい と首をもう取り片づけにかかっていた。
勝入はその間、一言も口を かなかった。
ホッとするより、心に残った幾つかの、後味の悪い疑問のために、口も利く気になれなかったのだ。
勝入は黙って床几に腰をおろすと、
「みんな、遠慮せよ。わしはここで一眠りする」
ぐっと腕を組み、傲然ごうぜん と両脚をふみ開いたまま眼を閉じた。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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