勝入は自分のそばに駆け寄って来る近侍の足音を意識しながら、物見やぐらにはせのぼった。 なぜか胸があやしく騒ぐ。戦場での火事ゆえ放火であるのは知れていたが、それが敵であるという予感より味方ではないかという怖れが胸を波立たせた。 尾張の民心は、信長以来、きわめて自意識が高く、その愛郷心は強烈に育っている。 信長の手によってまず関所が取り払われ、出入り自由でありながらしかも盗賊が姿を消したいう誇りは、彼らの胸に今でも脈々と活
きている。 したがって、この地でひとたび民心を失うたら、たとえ無意識にしろその抵抗はおそろしい。 彼らはおそらくその放火の主を、当地の才能のない者として、長く軽侮
しながら怨 んでゆくに違いなかった。 勝入は物見やぐらに駆けあがると、南の空へ小手をかざしてしばらく無言で火勢に見入った。 放火は一ヶ所ではなかった。点々とした火焔
の集団が五指にあまる。それらが水蒸気を強く含んだ空の雲に映えて、中天まで赤く染めている。 戦場を馳駆
した者にはみなその覚えはあることだったが、火をつけて廻る者の心理と、焼け出される百姓町人の心理とは恐ろしすぎる対照だった。 一方は狂った悪鬼であり、一方は踏み潰され、焼き殺される誘蛾灯
の蛾に似ていた。 それだけに、一度戦火に会うた者は、生涯相手を呪
いつづける。 勝入は放火の火勢の並なみならぬのを見てとると、 (これが敵のやった事ならば・・・・) と、ふと思った。 (これだけでも、わしは勝てるが・・・・) 「まだ、誰も知らせて来ぬか。火を放ったはいずれじゃ。敵か味方か、分りしだいに知らせよと申して来い」 「はッ」 すぐに一人がやぐらを駆けおりていったが、なかなかそれは戻って来なかった。 夜の火災は近く見える。これは、あるいは武蔵守の陣をすすめた羽黒よりも、はるかに先かも知れぬ・・・・」 「申し上げます!」 近侍が再び駆け上がって来たときに、勝入は闇の中をあわただしく城に近づく騎乗の一隊のあるのに気づいた。 いずれも無灯であったが、雲の上の月と火災の照り返しとで黒く小さな線の伸びに見えてくる。 (敵ではあるまい。誰もさえぎるものはないゆえ・・・・) 「申し上げます。夜襲の味方、ただいま無事に城に戻ってござりまする」 「それは見届けた。火を放ったのは、敵か味方かまだわからぬか」 「むろん味方でござりまする!」 その若侍は得々
として答えた。 「敵が砦
を築いている小牧の周辺を焼き払い、みごと度肝
を抜いて来たよし、これで土民も徳川勢にうかと協力はいたさぬことと存知まする」 「たわけめッ!」 勝入は全身をふるわせて怒号した。 |