「手をこまぬいておれとは言わぬ。ただ、相手の思う壺になるなと言うている」 勝入はそこで一段とさび声を高くして、 「戦は時に辛抱じゃぞ!
ただ進めばよいと言うものではない。仮に、・・・・ここで犬山城を固めていても、家康はおそらく自分からは仕掛けては来まい。長い城攻めなどはいたしておれぬからの。そこで、われらが、筑前どのの到着を待って大軍を結集する。そうなると対抗上、必ず家康もその正面に出来るだけの兵力を集めねばならぬ。何度も言い聞かせているように、そうなれば三河はカラじゃ。そこで、われらは三河を衝く・・・・よいか。三河を衝かれたと分れば家康は引き返すよりほかにない。家康が引っ返せば、筑前どのの大軍はしのまま尾張をひと舐めにして進んで行く。それで勝敗は決するのじゃ」 勝入は一気に言って絵図の上から眼をそらし、 「どちらもひどく不服そうじゃの」 と、舌打ちした。 「ではこなたたちはどうしようというのじゃ。まず、武蔵どのの意見から訊こう」 「それがしは・・・・」 と武蔵守は身をのり出すようにして軍扇の尖
で、犬山と小牧の間にある羽黒を突いた。 「ただちに清洲を衝くと見せかけてここに陣取り、万一小牧に隙
あらば、襲いかかろうと存じます」 「なるほど、羽黒か・・・・それならば、犬山の前衛と見てもよいの。忠次」 と、家老の伊木を呼んで、 「この羽黒はここからどれほどの距離じゃ」 「はい、犬山の南一里ばかり、小牧へは二里でございます」 「一里と二里か。よかろう。向こうがやって来るまでに、万一のときにはこの城へ入り得る。ではおやりなされ」 「勝入は倅の元助よりも婿の武蔵守には遠慮しているようであった。 「お許しが出ましたゆえ、さっそく手配にかかりまする」 「それで元助はどうすると申すのじゃ。やはり夜襲か」 「そのとおり!」 元助は昂然として答えた。 「手をこまぬいていると分らせぬため・・・・父上の作戦を相手に感づかれないためにも、出でては戦い、出でては戦いしなければなりませぬ」 「ふーむ。手の内を読まれぬためにか」 「そうなれば、彼らとて一時も気は許せず、気疲れいたすは必定
で、あとのためにも充分に役立ちます。また筑前どのとて、犬山城をとったあと、何の手も打たずにいたとあっては、やがてわれらを軽んじましょう。絶えず敵を駆け悩ましていてこそ、われらの士道も立派に立つ道理で」 「ふーむ」
と、勝入は眼を閉じて考えだした。彼はやはり三河勢の野戦の強さが気になるのだ。 「元助」 「はいッ」 「約束できるか」 「何をでござりまする」 「いかなる事があっても深追いせず、また、いかなる時にも大きな衝突は避けて、敵に一泡吹かせたら、ただちにかわして城へ引っ返すこと・・・・」 「それは出来ます。出来ればお許し下されますか」 元助は眼を光らせて聞き返した。
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