「父上、それは、いずれにて・・・・」 元助は半武装の勝入が眉根を寄せて読んでいる高札のわきに、自分の持って来たのを暴々
しく抛 り出した。 「これは町外れの川辺に立っていたのを鵜飼
の者が見つけて持って参ったのだ。それはどこに立ててあったぞ」 「これは、小牧山の近くの村で・・・・うぬっ、犬山の城下まで」 「怒るな」 と、勝入はおさえた。 「これはの、われらを怒らそうためじゃ。榊原康政という男は、なかなかの知恵者だと聞いている。怒って討って出るのを、どこぞに兵を伏せていた、手柄にしようという考えに違いない。何の、このような子供だましの高札など」 口では元助を押えながら、しかし勝入の額
にも曲がりうねった癇筋が立っている。 (秀吉がこれを見たら・・・・) と、彼にもその不安があるからだった。 「かたわらに控えている家老の伊木忠次が、 「これだけ書くのも容易
いことではござりませぬ。かようなものまで用意してあるうえは、よほど用心をいたさねばなるますまい」 「戦に用心はつきものじゃ。誰にも首は二つないからの。しかし、このようなものに気を腐
らせては相いならぬ。武蔵どのも、眼についたら、ただちに引き抜いて焼き払えと布令
ておいて下され」 「武蔵守はしきりに汗を拭きながら、 「むろんのことで」 そう応えてからすぐに、 「地図を持て」 と、小姓に言った。 「今見て来た模様を書き加えておかねばならぬ。舅御、敵は小牧山を本陣として、あれから犬山を狙うつもりでござりまするぞ」 「やはり小牧か」 「それゆえ、われらもすぐに犬山と敵陣の間に進出しようかと存じます」 武蔵守が急きこんで、小姓の持って来た絵図を広げてゆくと、 「わしは一挙に、小牧山をこっちの手で占領せねば必ず悔いが残ると思う」 元助ははっきりと言い切って軍扇
で小牧山を指した。 しかし勝入は答えない。答える代わりに首をかしげて、 「みんな若いぞ!」 とでも言いたげな表情だった。 「時遅るるほど敵陣は堅固になりましょう。今夜ただちに夜襲をお許し下さるよう」 「夜襲か・・・・」 勝入は手にしていた高札をはじめて側へおいて、 「木曾川を夜渡ったようなわけには行かぬぞ元助」 「それは心得ております。しかし一歩でも清洲に近づいておいて、筑前どのの到着を待つのが・・・・」 「わしは何度も家康の戦ぶりを見て来ている。姉川
でも長篠 でもな。野戦になると、三河勢は、雑兵までが猛虎になるからの」 「では、こうして手をこまぬいていようというのですか。まだ筑前どのはなかなかご着到はなさるまいに・・・・」 元助に喰ってかかられて、急に勝入はきびしい顔になっていった。
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