作左は、居間へとおると、 「於仙
」 と、わが子の仙千代を呼んで、 「数正が使いの者は何をしている?」 と、訊ねながら袴
を脱ぎ捨てた。 これは遅く産まれて、数正の子供同様、まだ前髪を落としたばかりの嫡子であった。 「はい、手前と碁
を打っておりました」 「碁は強いのか、渡辺金内は」 「はい、一度勝つと次には負け、負けると次には勝ちまする」 作左 は苦笑して、 「それは、その方が弱すぎるからじゃ。五番はそのまま座敷にあるか」 「はい、一刻に四、五番勝負がつきますので、飽きてそのまま床の間に押しやってありますが・・・・」 「どうだ途中で待ったというか金内は」 「はい、勝ときには一度も言わず、負けるときには待ったを二度三度いたしまする」 「ふーん。根性の据わっている男と見える。考えて待ったをしながら負けるのは苦しいものだ」 「では、考えて負けたのですか。それがしに」 「知れたことよ、その方などは、勝手も分らず負けても分らぬ。戦
だったら大変なことになろうぞ。わが首を探さねばならなくなるわ・・・・」 そい言うと作左 は血相の変わっている仙千代を好もしそうに見やって、 「嘘じゃ。戦場と碁は違う。碁などのあまり強い奴に、戦の上手
な者はない」 そう言い直して部屋を出かかり、また、 「於仙──」 と、わが子をふり返った。 「その方も、もし忠義比べ、我慢比べを、この父が命じたら、どんなに苦しくともやるであろうな」 仙千代はむっとした表情のまま、 「それがしは母上の子です」 と、答えた。 「臍
曲がりめ。うぬは、この作左 より母の方が辛抱
強いと思うておる。まあよい。母の子ならばあとへは退くまい」 そのまま待たせてある質素な八畳の間の座敷の前へ歩を運んで、 「エヘン!」 と、一つ咳払いしてから襖
を開けた。 「これはお戻りなされませ」 石川数正の使者渡辺金内は、まだ三十がらみの、いかにも無表情な男であったが、丸い膝
を揃え直して挨拶すると、 「お骨を折らせまする」 と小さく言い添えた。 「骨など折らぬ」 「は?」 「骨などは、わざわざ折らぬと申したのだ」 相手は作左
の気持ちをはかりかねて、そっと首を傾げてゆく。碁で負ける手を考える時の顔がこれであろうと作左 は思った。 「さて、あれこれ考えたが、数正はわるい事をわしに頼んだわ」 「何とおっしゃります。わるい事を」 「さよう。わしは始め、こなたに言われたとおり、こんどの使者、石川数正をお遣わし下されと言う気であった。御前
へまかり出るまではな」 「なるほど・・・・」 「ところが御前へ出てみると、何としても思うことが口に出ぬ。それで、数正を使者にやる儀は、この作左
が大反対じゃと言うてしもうた。困ったものよのう、わしの口も・・・・」 相手は一瞬、ぎくりとし、それから射抜くような眼になり、じっと作左 を見つめだした。 |