家康がわきを向くと作左衛門は図に乗ったかたちでしゃべりまくった。 「それがいかぬ。筑前などという狸
は、いつでもふぐりの皮を八畳敷きにひろげて、その中へすっぽりと相手を包み込む代物
じゃ。このくらいの箔をつけんでどうするものか。よか殿・・・・殿のケチは天下に聞こえている。せっかく天下に聞こえているものを、かかるときに巧みに使わぬ法はあるまい。とにかくこれはあの煤
け茶壷の由来 なのじゃ・・・・天下に聞こえた殿が、喜びのあまり五千石やると言われたので、松平清兵衛はぶるっと身震いした」 「なに、身震いしたと・・・・」 「するはずじゃ。あとで必ず惜しくなる。惜しくなったら難癖
つけて取り潰 されるやも知れぬ。そこで清兵衛は五千石の儀は、思いも寄りませぬと固く辞退した」 「よくもよくも。思うままを吐
かす爺め」 「もう、そろそろ終わりに近い。聞かっしゃるがよい。そこで、それなら何か望みはないかと問われ、改めて所望に任せ、子々孫々まで、蔵役、酒役そのほか一切
の諸役を免じられたという名器・・・・それゆえ浜松ではこれを五千石の壺という」 「分った。もうよせ!」 家康はついに手を振って、 「うぬも、わしにあの壺を贈らせる気でやって来たのだとよく分った。それゆえ、その口上
の言い得る使者の名を申せ。うぬのことじゃ、もう、そ奴と会って内々相談をとげて来ているはずじゃ」 「なるほど・・・・」 と作左衛門は乾いた唇としめしながら、 「さすがは殿!・・・・急所を突くわい。だが、その相談ぶった相手の名は、殿のお口から、誰にいたせと言われ、双方の思惑
がぴたりと合わねば申し上げられぬ。殿は、天下の名器五千石の壺を持たせて、誰を筑前がもとへおやりなさるご所存じゃ?」 「作左・・・・」 「はい」 「これはの、余人
には勤まらぬ」 「いかにも、余人には勤まらぬ」 「おぬしがもとへ、そのことで密
かに相談に参ったは、浜松在住の者ではあるまい」 「いかにも浜松在住の者ではない」 「言おう、それは岡崎から、その方のもとへこっそりと出て来た・・・・そうであろう」 「殿!」 「石川数正・・・・数正めじゃ。その、余人に勤まらぬ使者は・・・・」 「殿!」 と、もう一度作左衛門は叫ぶように言って、それからその場へ平伏した。 「数正は、わしに使いせよと申して来たのじゃ。が、わしはその任ではない。その代わり、数正ばかりを苦境に立たせはせぬ。数正が滅んだらわしも滅びる。数正が腹切ったらわそも切ろうと約束した。筑前は数正が戻って来れば、必ず数正は、自分の方へ内応したと言いふらす。そして数正一人を斬らせるばかりでなく、数正と同意の者が家中にたくさんいると言いふらし、内から崩
す手を打つことは知れてあること・・・・」 「作左、案じるな。この家康は、筑前が謀計
に乗ぜられて、その方や数正を斬るほど、やくたいもまい者ではないわ」 「殿!」 「作左・・・・」 |