家康はしばらくしてゆっくりと筆をおき、硯
に蓋 をしてから絵図を畳んだ。 作左の言うことは分っている。べつだん聞くまでもないといった調子が、その動作にはっきりとにじんでいる。 「作左」
と、ようやく振り返って、 「茶屋は、こなたに会うていったか」 作左衛門はそれを聞くとフフンと笑った。 「わしは、あの男とそれほど別懇
な間柄ではござりませぬ」 「ほう、またこなたの癖
で、虫が好かなくなったのか」 「はじめから、虫にも癇
にも障 らぬ男だあの男は、あの男の顔を見ると、筑前が手柄を言い立て、わざわざ浜松まで褒めに来たと書いてある」 「作左、そのような話ならば夜分にいたせ。わしはこれから子供たちに会うて来る」 作左衛門は舌打ちして首を振った。 「それよりお人払いを願いたいので」 「なに、人払いだと・・・・?」 「されば、うかうかしてござるとこの城からも、筑前への内応者が出そうな気がする」 言いながら、作左は近侍
から小姓を意地悪く見廻して、 「わしのもとへは別に調べが届いているが、いやはや、天下に腰抜けどもは多い者で・・・・ここに筑前が毒気に当たって、寝返りうった者どもの名を調べて来ました。人払いの上でご覧下され」 家康はチカリとみんなを見廻して、それから眉をしかめて苦笑した。 「みな、作左がああ申す、座をはずせ」 そしてみんなが次の間へ下がって行くと、 「また苦情か爺
は」 しかし、その時には作左衛門はもう以前の仏頂面
ではなかった。 「筑前が勝利の原因、しかと賦
に落ちさせられましたか」 「なに、筑前が勝利の原因?」 「されば・・・・こんども野戦よりは城攻めに見るべきものがあるようで・・・・しかし筑前が真の強さは位攻
め・・・・これが第一でござりました」 家康はちょっと不審な面持ちになったが、これもまたすぐに笑ってうなずいた。 「位攻めとは、人数で相手を圧倒して来た・・・・という事か」 「さよう。が、これは異とするに足りませぬ。城を攻めるときには、必ず城方より人数は多いもの・・・・ところが、筑前の位攻めには、もう一つ見落としできぬものがござりまする」 「ふーん。人数だけではなく、必ず相手の内に内応者と見られる者をつくって置くというのであろう」 家康に訊き返されると、作左衛門はこんどは溶けそうな笑顔になった。 「それにお気づきならば、何も言うことはござりませぬ。内応者がありそうじゃと疑い出しては攻められる方の戦力は半減。それで筑前は勝ちつづけた。このあたりに忘れてはならぬお心掛けがござりましょうぞ」 家康は、じっと上目で作左を見つめて、 「おかしな爺だ。それで、今日、わしに何を言いに来たのだ。すぐ筑前と一戦せよとでも言いたいのか」 こっちも作左以上の意地悪さで声をおとした。
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