「こんどはお父上が言葉をそらされた」 勝千代はすかさず父に一矢
むくいて、 「なあ兄上、父が何のためにさっきのような事を仰せられるか? それが分れば思案のしようも別にあろう」 兄の康長は用心深く黙っていた。 彼には薄々父の苦悩が分っていた。 茶屋四郎次郎が、わざわざ立ち寄って話してゆく前に、実は、父のもとへ、家康から内々に話があった。 「──上方
のことはどういやら筑前の思うままに決まったらしい。そこで、戦勝祝いの使者を立てねばならぬが、ほかの者ではまずい。おぬし行ってくれぬか」 そのとき、康長は父の供をして浜松城におもむき、次の間に控えていて二人の会話を聞いていたのだ。 「それだけは、ご免なされて・・・・」 と、父は答えた。 「──
なぜだな?」 「── 上方への使者は鬼門
でござりまする。こんども参れば、必ず筑前は、大阪築城の手伝いを命じましょう。否とは言えないような手詰めにあって、引き受けて参ればお館はじめ老臣がたに怨
まれようし、断って筑前が機嫌を損じたのでは、使者の役目は立ちませぬ。この事だけはご免なされて・・・・」 家康はその時、話をそらしてしばらく別の雑談をしていった。 そして、四半刻
ほどしてまた話をもとへ戻し、 「── やはり使者は、数正、おむしに行ってもらわねばならぬぞ。ほかの者では心もとない」 と、言い出した。 問題は、なるべく手伝いの犠牲
を少なくして、しかも、秀吉につけ入る口実を与えないよう、巧
みに機嫌を繋 いで来いということらしかった。 「──
それだけはご免なされて・・・・」 と、父はまた言った。 「── 安土城のおりの、酒井、大久保ご両氏の前例もあれば、築城を控えての使者は鬼門でござりまする」 家康は、ちょっと不機嫌な様子で黙っていたが、 「──
では、おぬしと作左で、誰を遣わすか相談せよ。ただの者では勤まらぬぞ」 と、きびしく言った。 そのはずである。秀吉の築城はおそらく天下へその威武を知らしめようとする目的からに違いなく、したがって裕福と見たり、われと威を競
う者と見たら、その者に賦課を重くするのは当然のことと言える。 よ言って、いま徳川家もまた新領への無数の城や砦
を作らなければならない立場にあった。 父の数正は、家康の居間を出ると本多作
左衛 門
をたずねて半刻あまり密談した。 このときには、康長は何を話し合ったか聞けなかったが、城を出たときの父の顔色は決して冴えたものではなかった。 (何かある・・・・苦しいことが) 康長が、そう思って黙っていると、数正は苦笑したまま話しはじめた。 「では言いきかそうか。そちたちには分るか分らぬか知れぬが・・・・」 「はい、うけたまわりとう存じます」 「実はな、この父は羽柴筑前どののもとへ使者に参るやも知れぬ」 数正は、そこで言葉を切って、またしばらく静かに扇
をうごかした。 |