「その・・・・使者におもむかれるのが、何か・・・・?」 弟の勝千代が眼を光らして父の顔をのぞきこんだ。 「されば、・・・・その使者、ずっと昔にのう、駿府
の今川
家
へ奥方さまと若君を受け取りに参った折の使者よりも、ずっと至難
なことになろう」 「な・・・・なぜでござりまする」 「それは、筑前どのが眼の上の瘤
は、やがてご当家になろうからじゃ。わしが筑前どのであっても、ここでは同じことをするかも知れぬ。大きな城を作るゆえ、黄金も、材木も、石も人夫もどしどし出すようにとな」 兄弟は、再び小首をかしげて顔を見合った。 彼らにはまだなかば分って、なかば分っていなかった。 よく分っているのは、父が何か困惑
しているらしいことだけだった。 「そこで、使者に参る折は、その方たちも連れて行こうと思う。連れて参れば、あるいは戻れぬやも知れぬ・・・・が、それでよいかな」 「それは、お父上が、そうせよと仰せられれば・・・・なあ勝千代」 「うん」 と、勝千代はあいまいに答えて、 「それが、仏の道にかなうこと・・・・と、お父上はお考えなさるのですね」 「そうじゃ!」 数正ははしめてわが意を得たという風にはっきりとうなずいた。 「よいか。こんどの事はわしもなかなか決心できなかったのじゃ。しかし・・・・お館は、この数正が馬の前鞍
に乗せ、生命を賭けて駿府の今川家から救い出して参ったご嫡男、信康さまさえ、家中のために、天下のためには涙を呑んで失われた・・・・わしはそのお心のうちを想うて、ようやく決心したのだが・・・・ 兄弟はいつかまばたきを忘れて父を見つめている。 父の口から信康の話が出るときには、いつもその眼がにじんで来るゆえでもあった。 「あのときの信長さまばかりではあるまい。人間は、日本一の城を築いて、その威を天下に示そうとするような時には、どうも鬼神
になるものらしい。筑前どのも、こんどはそれをなさる。それだけに鬼神であっても愕
かぬ覚悟と才覚がなければ、うかとは、こんどの使者には立てぬ」 「父上!」 勝千代の方が先に声をふるわして口を出した。 「行けばよいのでしょうご一緒
に。そして万一の時には死ねばよいのでしょう」 「急
くな勝千代」 と、兄がたしなめた。 {死ぬか生きるか、そのようなことは父上のご思案にあることじゃ。われらはどこまでも、父上のお指図
のとおりにすればよい。黙ってお聞きなされ」 「ウム、それは聞いている。で、そのご使者には、いつ出発なされまするので」 数正は今日もその眼にみじんだ涙を拭いて微笑した。 「それを聞いて安堵
いたした。才覚はわれらにある。お館が、もう一度浜松へわれらをお呼びになろう。そこでよくご相談してそれからじゃが、もう遠いことではあるまい。あと、三日か、五日か・・・・」 「では、それまでに、われらも準備を、なあ勝千代」 「はいッ」 数正は、二人の子供を見やって、こんどはのびのびと笑っていった。 |