〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/27 (火) 次 に 吹 く 風 (八)

「康長、 かつ も呼んでくれぬか」
石川数正は、四郎次郎が城を出て行ったと知ると、嫡男を見返っておだやかに笑った。
「客人がの、おもしろいことを言ったぞ」
「おもしろい事とは、さっき父上が、しゃべりすぎると仰せられた客人のことで」
「そうじゃ。さすがにお館のお目にかのうただけあって器量人じゃが、少しこんどはしゃべりすぎた。その中でな、こう言ったわ。どこへ使いに出しても安心していられる者は、わしと鬼作左の二人だけじゃとな」
「それが・・・・おもしろいのでござりまするか」
「そうじゃ。おもしろい。あまりに目がね違いでのう。この三河には、わしや鬼作左のような者は川原の小石ほどにたくさんあるわ。まあよい。於勝も呼んで来い」
数正には男の子が三人あった。
嫡男は康長ですでに元服げんぷく しているが、次男はかつ 千代ちよ 、三男は半三郎はんさぶろう 、まだいずれも前髪立ちであった。
何もかも家康の出世に けて妻帯が遅かったせいで、子供と父の年齢の差は大きい。
やがて康長が、二男の勝千代を連れてやって来た。
勝千代は体は大きかったが、まだ十四歳で、そのひとみ はあどけないおさ なさに光っている。
「康長、於勝・・・・わしは二人に今日ちょっと訊いてみたいことがある」
「はい、何でござりましょうか」
「おぬしたち、祖母さまから、よう仏の教えを聞いていよう」
「はい、聞いております」
弟の勝千代が答えるあとから康長は首をかし げて、
「聞いてはおりますが、まだ知ってはおりませぬ。御仏みほとけ の教えは深いようで」
「そうじゃ」 と、数正はうなずいた。
「それゆえ、どの程度か父も訊ねてみたくなった。知らぬこと、分らぬことは、そのまま答えよ。よいか」
「はい」
「その方たちは、この父が、何でお館さまに生命をささげておつか えするか知っているか」
「はい」 と、兄の方が答えた。
「祖父代々のご重恩をこうむっているからでござりまする」
「ふーん、お勝はどう思うぞ」
「兄上とおなじ・・・・そのうえに、お父上は、お館さまを尊敬しているし、お好きでもあるからだと思います」
「ふーむ」
と、数正はうなずいて、
{では訊ねるが、もし、この父が、お館さまを嫌いになったり、お館さまより、もっと大きな恩を下さる方があったら、この父はお館さまのもとを離れて、その大きな恩を下さる方へ仕えるというのじゃな」
そう言われると兄弟はそっと顔を見合わせて首を傾げた。
(なんで父がこのような問いを発するのか?)
「違いました」
と、兄が言った。
「そういうお方があっても父上は行きません」
弟の方はさか しげに首を傾げて黙っていた。
数正は声を立てて笑った。
「ハハ・・・・、お勝はずるいぞ。分らぬことを黙っているのはずるいぞ。ハハハ・・・・」

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next