「ご城代さま、都の水を呑んで口巧者になったとは心外なお言葉でござりまする」 茶屋はまたひとつ膝
すすめて、 「私は、いまにして両雄並び立たずの古語を思わずにはおれませぬ。筑前どのの力とご気性、この二つをよくよく究
めてかからぬと、徳川家にとって、これは、三方
ケ原 以来の大難となるやも計られませぬ」 「と言われると、筑前どのの方から、合戦
を挑 まれると言わっしゃるのじゃな」 数正はいぜん視線をそらしたままで言った。 「たとえ筑前どのが合戦を挑まれても、お館さまは応じられまい」 「いいえ、合戦を挑むかわりに、臣礼
をとれと強 いて参るに違いござりませぬ。今ではもはや、丹羽長秀どのも、細川
藤孝 どのも、みな筑前どのの家臣にござりまする」 「すると、お身の案ずるのは、お館さまが、筑前どのの家来
にはなるまいと言われるのか」 「御意にござりまする。お館さまはとにかく、家来衆が承知すまい。それゆえ、ここで、尋常
ならぬ用意の布石 が必要だと申し上げておりますので」 「ハハ・・・・」 数正はまた笑った。 「よう分りました。だがお案じなさるな。お館はそのようなお方ではない。わしも、お身の言葉は肝
にきざんで置こう。また、お館の命があれば使いもしよう。それゆえ、今宵
はゆっくりとここで休んで一刻も早よう浜松へゆかれるがよい」 茶屋四郎次郎は、まだ、何か言い足りない気がして不服だったが、これ以上の言葉ははばかられた。 (果たして、これで、この人は分ってくれたのだろうか・・・・?) 忌憚
なく言えば頼りなかった。眼の色変えて、もっと自分に質問の矢を向けて来るものと期待していた。 「──よし、それならば、わしから願うて使者に参ろう。何の筑前とてただの人ではないか」 そうした言葉を期待して、そうなったら、あの点、この点と、秀吉の性癖をもっと細かく話しておこうと思ったのだ。 しかし、数正は少しも真剣に乗って来ない。この人もやはり秀吉を、軽く見すぎているのではあるまいかと思うと、やがて運ばれて来た膳部も酒も美味
くなかった 数正は、以前と人が変わったように見えた。柔らかくなったが、肝腎
な気魄 がどこかへ消え失せてしまったような気がする。 家康の所領が四ヵ国に及んだので、もはや大名の地位は約束されたも同じだった。それだけに鋭気がにぶったのか、それとも尊大になったのか・・・・? その夜は、本丸の一室に手代とともに宿泊させてくれたが、翌朝、城を発つ時には、数正はもう顔を見せなかった。 それも何となく四郎次郎には、裏切られたような淋しさだった。 (まさか、この城の城代で満足しきってしまったわけでもあるまいが・・・・) 茶屋が出発すると、数正は、さり気ない様子でわが子康長
に言った。 「松本四郎次郎は出て行ったか。あれも少々口数が多すぎてのう」 |