〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/25 (日) 次 に 吹 く 風 (二)

岡崎城も以前の構えから見ると、すっかり変わった。家康自身の功業と歩速を合わせて、城郭じょうかくやぐら も立派になったし。それを囲む樹木の繁りも加わって、どっしりとした重さを加えている。
石垣も、ほり も、三代続いた苦闘と繁栄の秘密をそらにささやきかけている。
と言って、ついこのあいだ落ちた北の庄の城に比べては櫓も低く、敷地も狭いのだが・・・・
「城ではない・・・・そこに住まう人の心だ」
茶屋四郎次郎は、額の汗を拭きながら、勝手かって 知った連尺れんじゃく 木戸へすすんでいって、
「京の呉服ご用を勤めまする茶屋四郎次郎でござりまするが、ど城代さまに・・・・」
と、いんぐんに申し入れた。
「なに。京の呉服商だと」
門番は四郎次郎の顔を知らなかったと見えて、
「いったい何の用なのだ。お城代さまは忙しいぞ」
「はい、浜松のお館さまのもとへ参向いたします途中、ちょっとご挨拶にまかり出ましたので」
「取り次げば、会うと思うのだなご城代が」
「はい、たぶんお許し下さると存知まする」
「よし、無駄でないと分れば取り次ぐ」
茶屋は手代を振り返って苦笑した。
万事がこの調子なのである。素朴で失礼で、そしてどこかに愛嬌あいきょう もあるのだが、物言うときには噛みつきそうな語勢である。
三河気質・・・・とでも言おうか。これが足軽小者こもの にまで浸透しんとう しているので、戦となれば素晴らしく強いのだが、さて、平時の駆け引き、社交となるとちょっと困りものであった。
以前、信長のぶなが のもとへ使いした、酒井さかい 忠次ただつぐおお 久保くぼ 忠世ただよ の両人が、ついに家康の嫡子ちゃくし 信康のぶやす窮地きゅうちおといい れた前例もある。
ところが、こんどは信長よりもはるかにむずかしい相手の秀吉と、とにかく接触しなければならないことになったのだ・・・・
茶屋四郎次郎は、木戸口に立たされたまましばらく待った。門のすぐ中には供待ちも対面所もあるのだから、そこで待たせてくれたら助かるのだが、そんな融通ゆうずう はきこそうもない。
「茶屋どの、通らっしゃい」
「はい、ご城代さまお会い下さりまするか」
「商人」
「はい」
「その方は、ご城代と古いつきあいか」
「はい、もうかなり古くから」
「そうらしい。丁寧ていねい に案内せよとおお せられた。来いッ」
四郎次郎はなた苦笑して、
「では、二人の手代は、この供待ちで」
「なに、そうか。まだ二人いたか。よし、神妙に控えておれ。その方たちのことを くのを忘れた」
「かしこまりましてござりまする」
手代を供待ちに待たせて本丸へ中門をくぐってゆくと、大玄関へ、若侍二人が出て来て迎えてくれた。
「茶屋どのか、こっちへ通らっしゃい」
これも、門番と同じ口調で、案内された茶屋が商人姿なのでムッとしている様子だった。
たずねる石川数正は、本丸の小書院で、しきりに祐筆ゆうひつ と何か話しているところだったが、四郎次郎の姿を見ると、
「おおこれは松本まつもと うじ 、さ、ずっとこれへ」
言いながら、祐筆と若侍に退さが るように眼顔で知らせた。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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