茶屋
四郎 次郎
は、じりじりと照り続ける炎天下を矢矧
の大橋へ急いでいた。 いわべは徳川
家の呉服 調達
のご用人で、その実は京都方面の諜報は一手に引き受けていると言ってよい茶屋であった。 すっかり町人ぶりは板について、その眼も以前の鋭さから、いかにも裕福な長者
らしい風貌に変わっている。 手代と見せた護衛二人を連れて、橋の中央にかかると、彼は足を止めて流れを見やり、それから行く手に深緑をかざした岡崎
城を仰いだ。 「どうじゃ、ここは、別天地の感ではないか」 「はい、戦のあるとないとでは、吹く風の匂いが違いまするなあ」 「しかし、こんごはどうなることかのう」 「どうなるかとおっしゃると、こっちも火の粉が降りかかると言われまするので」 「お館
さまは、さほどではないが・・・・何分、三河
には頑固者が揃 うておるでのう」 茶屋四郎次郎はそう言うと、陽
かげのない橋の上でわざわざ草鞋
の紐 を結び直した。 「しると、北陸のことが片付きますれば、筑前
どのの手は、この方面に伸びるとおっしゃりまするか」 「そうなろうのう、もはや、岐阜
の運命も決まったゆえ、天下の平定となれば、徳川家だけをそのままにしてはおけまいでなあ」 「そうなったら、なるほど一大事でござりまするなあ」 「一大事などという段ではない。お館さまの上に生涯でいちばん大きなさわりになろう。さ、急ごうか」 「はい、この岡崎の城にはお寄りなされませぬので」 「それがのう」 歩きだして振り返って、 「寄らずにそのまま浜松に行く気であったが気が変わった」 「気が変わったとはお寄りなされまするので」 「寄らずばなるまい。いま、この城の城代は石川
伯耆守 数正
どの、石川どのと、密談せずに通りすぎてはならぬ気がする」 手代はそれで黙ったが、茶屋はまたひとり言のように、 「とにかく、北
の庄 の城は落ち、北陸の備えは一新した。ここでお館さまに、戦勝祝いの使者を出していただかねば、筑前どのとに後のもつれが増そうでな・・・・」 四郎次郎は、それらのことを家康
に報告、献策のために浜松へおもむく途中であったが、道々考えてみると、三河武士の中に、秀吉
と対談して、面目も傷つけず、感情も害さぬような外交手腕のある者が思い当たらなかった。 武辺一辺で、秀吉を成り上がり者と軽んじたのでは、それこそ後が大変だったし、逆に秀吉にまるめられる可能性も充分あった。 秀吉はその点摩訶
不思議な力を持った大天才なのだ。 相手がひどく素朴
だと見てとったら、おそらくその肩を叩いて一度で自分の味方にしてしまうに違いない。 (これはやはり石川どのでなければ勤まるまいが、さておきき入れなされるかどうか・・・・) 茶屋はまっすぐ城へ向かいながら、しきりのそれを考えていた。 |