〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/22 (木) 有 情 無 情 (十)

勝家の予想どおり、その夜、二十二日は、秀吉側から直接城への攻撃はなくて済んだ。
先鋒せんぽう斥候せっこう が、勝家の策戦を探ろうとして放火をしながら出没しただけであった。が、その陽動ですでに、徳山秀現と、不破勝光は秀吉にくだ ったという。そして翌二十三日には、前田利家父子を先頭にした秀吉勢は、日野川を渡り、さらに足羽あすわ 川を渡って城に迫った。
利家はその進軍の途中で、宣撫せんぶ の者を先行させ、土民の慰撫いぶ につとめながら北の庄の城を囲むと、もう一度勝家に最後の勧告かんこく を試みたが、このときには、勝家は城門を開こうとさえしなかった。
秀吉は本陣を足羽川の南岸、愛宕あたご 山において総攻撃の指揮をとった。
この対陣は、戦国の生んだ二性格の勝敗を超えた意地くらべという点で、ひどく変わっていたといえる。
秀吉はまず、高く石垣を積み上げ、入り口の上に九重のやぐらをそび えさせている天守めざして、いっせいに鉄砲を射ち込ませた。が、上からは何の反応もない。
あるいは距離が遠すぎて、弾丸が届かなかったのかも知れなかった。そこで今度は、精兵を選んで郭内へ手槍、打ち物をもって突入せしめたが、そのあたりは空であった。
その報告を受け取ると、秀吉はフフンと笑った。
へそ がりめ。まだわしをびっくりさせようと思っているな。よし、それならば手控えよ」
考えられる事は、昼間は相手にならずにおいて夜を待ち、勝家自身で秀吉の本陣へ斬り込みをかえるのではなかろうかという事であった。
死に花ばかりを考えている勝家のやりそうなこと・・・・秀吉は厳重に本陣の固めを命じた。こうしてついに二十三日もまた、秀吉側の一方的な動きのままで暮れていき、あたりはしっとりとした闇に変わった。
と、五ツ (八時) ごろになって、それまでシーンと夜空へそびえていた天守閣の五層以上へ、いっせいに灯が入った。
「おかしなことをしくさるぞ」
「ははあ、いよいよ夜襲の評定だな」
「油断するな。どこから討って出てもよい。修理が首を狙おうぞ」
包囲勢もしきりにかがり火を焚いて気勢を上げていたのだが、やがて彼らの耳にひびいて来たのは、思いがけないつづみ の音であり、横笛の冴えた調べであった。
「はてな? これはどうした事だ」
「まさか、この に及んで酒宴でもあるまいが」
小首をかしげているうちに、やがて、天守を取り巻く、西方のやぐらにも灯が入った。
「これは妙なことを・・・・たしかに酒を呑んで何か唄うていくさるぞ」
まさにそのとおりであった。勝家は、そのとき、九重の天守の上に、居残った一族、近臣、女房たちを集め、酒を汲んでいた。
「みな許せよ。あの猿めがためにこうなったは残念ながら、狼狽はすまいぞ。今宵は心ゆくまで酒を汲み、かん を尽くしてな。明日は浮世のすき をあけぼのの雲と消えようぞ」
それは空しい意地に支えられ、生涯戦場で過ごして来た勝家の、最後の見栄ではあったが、その頬はいきいきと輝き、その眼はいかにも楽しげになご んでいた。
お市の方が、居残ったと知った瞬間から、勝家にはまた新しい気力が、よみがえって来た様子だった。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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