二の丸の畳を積み上げた大広間で、籠城の指揮をしていた勝頼は、 「殿!
御台所さまをはじめ、みなみなさま、無事に落ちさせられてござりまする」 そう言われたときに、 「そうか、それはよかった!」 小島若狭を、見返りもせずにうなずいたが、うなずいたあとでシーンと滅入
るような孤独を感じた。 (誰もいなくなった・・・・) 三千の兵士が、そにかく自分と共に死ぬ気で城に残っている。それなのに、誰もいなくなったというのがその時の実感であった。 (わしはどこかで、奥方の残るのを待っていたらしい。おかしな奴だ・・・・) ちょっと後ろめたいものを覚えながら、 「若狭、天守の下には、草と薪
を積ませておけ」 「天守の下に・・・・?」 「そうじゃ。ついでに火をかけられるよう。それから、火薬を準備しておくがよかろう。分るであろう。何ゆえそれを命ずるのか」 「はッ」 若狭は答えて、白く光っている勝家の眉
を痛ましく仰いだ。 「敵が乱入した折に、点火するのでござりまするな」 勝家はこくりとした。 「生首
を渡してやるにも及ぶまい。しかし、点火する時は改めて指図する」 「心得ました。では、すぐに」 「あ、待て若狭」 「はッ」 「今宵はな、まだ筑前の本隊は来ないと見た。それゆえ、準備が終わらば、足軽小者
にまで所蔵の酒を分けてとらせ」 「かしこまりました」 「もはや、副食の類も惜しむに当たらぬぞ。肴
をも取らせ」 「心得てござりまする」 「よし、行けッ」 若狭が駆け去ると、勝頼はそっと床几
に腰をおろして、 (おかしな男だ、勝家は・・・・) もう一度腹の中でつぶやいた。 お市の方が城にあったら、最後まで秀吉を困らせてやる気でいたのが、急にいやになって来た。落とす者を落としたという安心感のほかに、何か底の知れない落胆
が潜んでいる。 (どうせ死ぬ戦なのだ・・・・) その感じが、見る間に身内にほろがって、あれほど執着して来た 「意地」 の影が薄くなった。 事によると、彼の意地はお市の方に見せたいための気負いであったのかも知れない。もしそれだとすれば、勝家という男はなんと言う無邪気な悪童であったのだろう・・・・ 生れおちるときから、争うことと戦うことばかりを考えて来た男の最後にたどりついたところが、この気うとい懶惰
な疲労であった。 勝家はそっと眼を閉じた。 誰かの静かな足音がする。小姓らしい・・・・と思ったときにプーンと炊き立ての握り飯の匂いが鼻腔
へ入った。 (夕餉
を持って来たのだな) 足音はすぐ側まで来て止まった。 「殿、お目ざめなされませ。夜食でござりまする」 勝家はハッとして眼を開き、そこにつつましく片膝ついて、盆にのせた握り飯を差し出しているお市の方を見ると、あわてて眼を瞑
り直した。 |