廊下にあわただしい跫音
がして、 「御 台所
さまに申し上げまする」 と、草ずり鳴らして駆けてきた者がある。 勝家とともに危うく戦場を逃れて城に戻って来た小島
若狭 であった。 若狭は無遠慮に、お市の方の居間の襖
を開いて、いきなりその場へ片膝ついた。 期せずして、母子の眼はいっせいにその方へそそがれる。 「御台所さまに申し上げまする」 若狭はもう一度叫ぶように言って、 「殿のお言いつけでござりますれば、姫たちと共に、ただちに城を出られまするよう、ご用意のほど願わしゅう存知まする」 「若狭どの、すると西南に見えるあの煙は・・・・」 「敵の放火にござりまするが、まだお案じなさることはござりませぬ。ただ今、前田どののもとより使者が参り、落ちさせられるおん方あらば、乾門
より放たれよ。されば必ず門外に待ち受けてご守護申さんとのご口上、決戦は今夜半から明日に及ぶと存じまするゆえ、日の暮れには、ご脱出願わねばなりませぬ。そのおつもりでご用意のほどを・・・・」 言い捨ててすぐさま立とうとする若狭を、お市の方はあわてて呼び止めた。 「若狭どの、もう一つお聞おきたい事がござりまする」 「はッ、何なりと」 「この城に、わらわたちのほかにも落とさねばならぬ者があるはず、それをここへお連れ下さるまいか」 「御台所さまのほかに・・・・はて、どなたでござりましょう」 「前田どのの姫が質になっているはず、その姫に、わが家の殿の幼い姫たちも、この場へお連れ下さるよう、みなで共に落ちとう存じまする」 若狭はハッとしたようにお市の方を見直した。 彼は浅井の姫たち三人は落ちても、お市の方は城を捨てまいと、勝家から聞かされて来ていたのだ。 それだけにお市の方の言葉は、以外でもあり、またうなずけもするのであった。 (やはり遁がれるお気になられた・・・・) その代わり、勝家の妾腹
の姫二人勝姫 と政姫
をも連れてゆく気になったらしい・・・・ この問題は微妙であった。 万一お市の方が、この城と運命を共にする気であったら、勝家はわが子を落とすとは思えなかった。 (主君の妹も共に死ぬのだ。何のわが子だけ・・・・) そんな頑
なさが勝家なのだ。したがって、お市の方が落ちると言えば、二人の姫も落としてやるかも知れなかった。 (そうか、そうだったのか。それでよいのだ・・・・) 若狭はホッとして、 「委細
承知、若狭が、必ずここへお伴ないいたしまする」 「頼みましたぞ」 浴びせるように言って、お市の方はお市の方でホッとしていた。 勝家が自分を助けようとしていることが、とっさの場合に茶々姫を説き伏せるよい思案になったのだ。 「茶々どの、お聞きのとおり、わらわも落ちる。修理どのの姫たちも、前田の姫も共に落ちる・・・・さ、こなたたちも支度をなされ」 こんどは遠くではじけるような鉄砲の音がしだした。 |