お市の方は、さっきから濠
をへだてた向うの大路を見おろしていた。 冬ははげしく白魔
の荒れ狂う町であったが、今は深い緑に包まれ、足羽
川原から流れて来る風が爽やかな涼
をはこんだ。 今朝早くから、三々五々と城へ入って来た人影もようやく途絶
えて、白い道に時々ほこりが舞いあがる。右手に見える金
毘羅 岳
から国見岳 の上には夏雲がわずかに刷
かれたように浮いていたが、あとは限りない青空だった。 (この城が間もなく落ちる・・・・) 緑を綴
って並んだ城下の屋根のうちでは、それを知っているのだろうか。 筑前の軍勢が入って来たら、何をおいてもまず真っ先にこの城下へ火を放つに違いない。 守る者が籠城と決まれば、攻めるものはまず周囲を焼き払うのが戦のつねであった。 そのときになって、火中で立ち騒ぐ群集を想像すると、お市の方は、改めてわが身の罪業の深さを想わずにはいられなかった。 小谷城の落ちるときもそうであったが、こんどもまたあの地獄の火の色を見ねばならぬとは・・・・ といって、お市の方に出来ることはもはや、ここで死ぬことだけであった。 人の噂では、この北陸の地は、兄の信長が、いちばん多くの人の生命を奪ったところだと聞いている。せめて、自分もここで死んで罪障
の消滅を念じたい。 (この心は動かぬのだが・・・・) お市の方は、南へ開いた勾欄
に身を寄せかけるようにして、さっきから、その事を考えていた。 (わらわに死ぬなという者が二人ある・・・・) 一人は昨夜城へたどりついた良人の勝家であり、もう一人はわが子の茶々姫だった。 どちらも執拗だった。 勝家は夜明けの前にちょっと顔を見せて、 「──
事情は変わった。こなたにはこの城を落ちてもらわねばならぬ」 と、きびしい表情で言った。 お市の方が笑っていると、 「──わしは家臣の忠烈さに負けて、この城を棺
にする気になったのだ。棺の中にはこなたは入れられぬ」 急
き込んでそう言ったし、茶々姫はおりあるごとに死ぬ事は敗北なのだと説きつづけた。 むろんそれで決心の変わるお市の方ではなかったが、自分を生かそうと努めてくれている者が、この世に二人あるということは名僧知識の供養に勝る者に思えた。 (勝家とても同じはず・・・・) と、お市の方には分っている。それだけにこんども相手にならず笑いとおして済ましたのだが、茶々姫の方は、まだ何か言って来そうな気がした。 (言って来たら、何と説こうか・・・・?) 考えるともなく、それを考えている時に、 「姫さまが三人揃うてお越しなされました」 と、侍女が言った。お市の方はひやりとして視線を屋内へ転じてゆく。外の明るさに馴れた眼に、遠山霞
の襖絵 を背にして、三人並んだ姫の姿がひどく暗いものに映った。しかし、 「母さま、お願いがあって参りました」 茶々姫の声は、いつもと違って唄うようにはずんでいる。
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