〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/20 (火) 有 情 無 情 (二)

「よいか、修理どのは、生命からがらこの城へ遁げ戻った。多くの家臣の生命を戦場へ捨てさせて・・・・そして、すぐ昨夜から戦評定じゃ。ご覧! 大手からもから め手からも、あのように続々と侍たちが城へ入って来る。十一、二歳の子供から、六十越えた年寄りまで、槍をかつぎ、よろい を背負うて入って来る・・・・」
言われて高姫も達姫も、この三層の縁から外をのぞいていった。
陽の出たばかりの青葉がくれに、白々と城をめぐる道が光り、そこにのろのろと人の群れが続いている。
「見えるであろう。ああしてみんな城に呼び入れるは、いわずと知れた籠城ろうじょう じゃ。でも、せいぜい人数は三千であろう・・・・筑前の軍隊は三万とか五万とか・・・・」
「では、城を枕に、みな討ち死にでござりまするなあ・・・・」
「それゆえにこの身は修理が憎い。何でわざわざ城に戻って、年寄りや子供たちまで、殺さねばならぬのじゃ。意地で出向いた戦場ならば、なぜ華々はなばな しく討ち死にせぬのじゃ。権六郎どのも戻らねば、佐久間玄蕃げんば も戻らぬに、修理どのばかりは遁げ戻って・・・・」
そこまで言って、語調を変え、
「よいかや、そのような修理のもとで、母さまを殺してよいかどうかじゃ。高どの、そなたから、思うままを言うてみやれ」
高姫は、そのときもう泣きそうになっていた。
「では、勝つことはござりませぬか」
「あるものか。わずか三千足らずの人数では総構えの外側まで配りきれぬ。おそらく二の丸、三の丸へみんなでこもることになろう。周囲から火をかけられたら、それで終わりじゃ」
高姫は身震いして、
「母さまを助けたい!」 と、すがるように姉を見上げた。
「助ける手だてをお考え下さりませ」
「分りました。高どのの心は・・・・して、達どのは?」
達姫は、中の姉のように震えてはいなかった。きりりと締まった丸いおとがいを引くようにして、じっと上眼で青い空を見つめていた。
「私は・・・・母さまの、お心に従うがよいと思いまする」
「母さまのお心とは?」
「母さまは、もはやお心を決めておわすのでは・・・・」
「達どの」
「はい」
「お心を決めてあるとは、この城で死のうとお覚悟なされている・・・・それゆえ、そのまま殺そうとお言いやるか」
「はい」
達姫は、近ごろめっきり大人びた眼もとへ、硬い緊張を見せてうなずいた。
「母さまは、筑前に会うのが、いとわしいと申しまする。筑前は母さまに恋慕れんぼ していましたそうな。それゆえ、もし助かれば三度目の良人を持たねばならぬ。それゆえここで・・・・ろ、仰せられました。いいえ、母さま一人は殺しはしませぬ。この達も一緒いっしょ にお供しまする」
「何とお言いやる?!」
茶々姫は、きっと達姫に向き直った。
「母さまをすくう手だての相談に、こなたまで、一緒に死ぬとは何ごとじゃ。許しませぬ。それを許すほどならば、何で相談するものか。達どのは取り乱しましたな」

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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