〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/20 (火) 意 地 の 塔 (七)

秀吉は北国街道を出ると、すぐに勝家を追わず、一度狐塚まで馬を返して戦場を見廻った。
すべてが秀吉の計算どうりであった。まだ陽の高いうちにこのあたりの一切の戦闘は終わり、彼の頭上には赫々かくかく とした勝利がもたらされている。
しかもその勝利は去年の六月二十七日の清洲会議のおりから、綿密に組み立てられた筋書きのとおりであったと知る者が、秀吉以外に何人あったであろうか。
いまは越前の北の庄さして、みじめに敗退しつつある勝家は、秀吉の居城、長浜をあっさりとゆず られたとき、やがてそこを拠点とされての、今日の惨敗ざんぱい を連想していたであろうか。
秀吉が長浜を勝家に譲ったのは、このあたりの地理も人情も知り尽くしていて、勝家との決戦場としては最も有利な場所と睨んだからであったが、それを勝家も、その子勝豊も逆に秀吉の譲歩と受け取っていなかったであろうか・・・・
おなじ去年の十一月三日に、山崎へ使者としておもむいた、前田利家、不破勝光、金森長近らが、ここではいずれも巧妙に戦場を離脱して、決して秀吉に弓を引こうとしなかった事実を、勝家は、どう考えながら落ちのびているのであろうか・・・・
秀吉は、馬を狐塚の、勝家の陣跡にすすめ、そのあたりに散乱しているおびただしい屍体の山を見ると、ふとまた、毛受兄弟の割腹していた林間のありさまを思いうかべていた。
「さすがはおん大将の采配さいはい 、大勝利でござりまするな」
そばについて来た一柳直末が言うと、
「これで柴田勢もほとんど全滅であろうよ。それにしてもたわけた修理どのじゃ。この敗戦が とお せぬとはのう」
加藤光泰が相槌を打つと、秀吉はいつになくしぶい表情でわきを向いた。
「さすがに鬼柴田じゃ。妙なことを口走るな」
「・・・・それにしても、わが力を知らず・・・・」
「止せと言っている。これが、わが力を知らぬ者の戦の仕ぶりか。知りすぎるほど知っていて意地を貫く・・・・ ごわ い敵であったぞ」
光泰と直末は顔を見合わせて黙ってしまった。
これもすっかり汗とほこり にまみれて、眼ばかり光っている秀吉の横顔に、いつもと違った哀愁のいろの動きを見たからだった。
「利を説き、利を与えて動く者はいささかも怖くはない。が、そのいずれをも取ろうとせず、しゃ 意地を貫こうとする者ほど厄介なものがまたとあろうか。直末、黒田官兵衛のもとへ使いしてくれ」
「は・・・・黒田どののもとへ・・・・」
「みんなで力をあわ せて、すぐにこの屍体を一ヵ所に集めて葬ってやるように、それから里人たちに命じてな、敵味方の区別はいらぬ。傷ついてまだ息ある者には、みの 、笠などを与え、手の届くかぎりいたわ わってやるようにと申せ。よいか。さなくば、この秀吉の意地が立たぬぞ」
そう言うと秀吉は、キラリと眼に光るものを見せて、再び馬首を北に向けた。
「光泰」
「はい」
「勝家は、どのような理が秀吉にあろうと、秀吉の ふう には立たぬと決めている。それでは天下が治まらぬゆえ、やむなく討った。それだけのことよ。それを誤って受け取るな」

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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