家照は本能的に膝を立てて、敵との距離をおしはかった。すでに一丁とは離れていない。 「兄者、それはならぬぞ」 言いざますぐに太刀を取って立ち上がったのは、老いた母のために兄を退かせたい一心と、自分の割腹
を敵の雑兵にさまたげられたくないためであった。 「兄者には、殿の意地と、それを受け継ぐわが身の意地がわからぬのかッ」 考えてみれば奇怪な言い分だった。 家照とてむろんその意地の内容まで細
く考えて腑に落ちているのではあるまい。 したがって、意地を持たぬ人にとっては、一切
が玩愚 なお笑い草にすぎないかもしれない。 しかし勝家にせよ、家照にせよ、それは、おのれが美と信じたところをどこまでも貫かずにはおれないぎりぎりの自己主張であった。 そして、その逞しい自己主張を持った者を戦国武士の中では
「骨ある者」 とし、立派な 「男」 として賛美したのであった。 家照が立つと兄の茂左衛門もすっと立って、手に唾
して槍を持ち直した。 「兄者! ならぬと言うのが分らぬのかッ」 「分らぬ」 と、兄は、もう弟の方を見ていなかった。 「意地はおぬしばかりの持ち物ではない。おれにもある」 もうその時には、すぐ眼の下の林間に、ワーと白刃のゆらぎが迫って見えた。 兄は颯
っと槍を構えて、弟よりも先にその方へ駆け出した。 「ええッ、むごい兄じゃ。老母の嘆きが・・・・」 そこまで言って、家照ははげしい舌打ちを怒号に似た名乗りに変え、自分もまた真
っ向 に太刀をかざして敵の中へ躍り込んだ。 「やあやあ、天下にかくれなき鬼柴田が太刀先、受けられるものなら受けて見よ」 サッと寄せ手の白刃は二つに裂かれ、さらに四つに、八つに裂かれて、ドーッとまた退きだした。 「天下にかくれなき鬼柴田が・・・・」 そのときには、従う者はわずかに二十人あまり。 「兄者!」 「なんだ」 「いまじゃ、お袋どのを・・・・」 「しつこいぞ勝介、うぬが切腹の時期を失うな」 「切腹したら帰るのじゃな。よしッ」 再び木の間を、金の御幣の馬標は、二、三十間引っ返して、いきなり草に上に坐った。 シーンとした一瞬が過ぎ去った。 そして再び寄せ手が、引っ返して来たときには、あたりには生きている軍兵
の姿は一つもなかった。 あるのは点々と散在する死屍
だけで、木の間を洩れる陽ざしが皮肉なほど、美しく静であった。 「や、や、これは修理どのではない。家臣の毛受家照じゃ。家照が身代わりしたぞ」 「おう、それに殉死
と見せかけて、見事に割腹しているのは、その兄茂左衛門じゃ」 しかしそれらの声は、もはや、家照にも、死の兄にも届きはすまい。 彼らは橡谷山の青芝の上に、どこまでも悲しいその
「意地」 を追ってこと切れている。 北国街道へ出ようとして、秀吉はそばを通りかかると、しばらく黙って兄弟の屍体を睨んでいたが、一言も発しなかった。 |