〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/20 (火) 意 地 の 塔 (五)

毛受めんじゅ 家照いえてる の意地は、彼自身の面目よりも勝家の面目を立てさせてやりたい事にあった。
それだけ、このこの老将の意地の悲しさが、はらわた にしみとおっていたのだといってよい。
あのはげしい気性の信長すら、勝家にだけは重臣筆頭の地位を許してあえてこれを除こうとはしなかった。
それだけに勝家の意地の中には、信長に対すり思慕があふれている。たとえそれが、大局から見ていささか感情におぼれすぎた嫌いはあったとしても、充分家照には美しいものに見え、じゅん ずる価値のあるものに見えた。
家照は、勝家の馬標をおし立てると、そのまままた、退き口の時を稼ぐために敵の中へ突き進んだ。
しょせんそれは一時のことに過ぎなかったが、その犠牲がなければ、もはや勝家の がれ得ないギリギリの瀬戸際へ押しつめられていたのだ。
家照は、約五、六丁ほど進んで、背後に勝家の姿がなくなっているのを見ると、急いでこんどは狐塚から九丁ほど後方の林谷山まで兵を返してここに った。
林谷山はさきに越中中原森の城主、原彦次郎が拠っていて、いまは空砦あきとりで になっている。
その空き砦に立てこもって、勝家の北の庄引き揚げを完了させようというのだが、そのときはすでに手勢は三百に足りなかった。
秀吉は、集福寺坂付近で小憩した兵をまろめ、これをしばらく監視していたが、やがてみずからも北国街道へ押し出してじょじょに左右両翼がひとつになり、林谷山を攻め立てた。
「勝家は、あれにあるぞ。遁がすな、討ち取れ」
木下一元かずもと と、小川裕忠すけただ の手勢が真っ先に山に取りつき、気負い立った武者が鉄砲隊を先立てて林谷山の砦に殺到したのは九ツ半 (午後一時) で、その時には勝家の馬標は砦を捨ててさらに後方の橡谷とちだに 山に引いていた。
おそらく寸刻も多く、勝家の意地のために時を稼ごうと、毛受家照のこらが最後の努力だったに違いない。
家照は、林谷山では息もつかず、続いてひたひたと橡谷山へ押し寄せる敵を見ると、
「これでよい。これでわしの意地も立った」
そう言うと、兄のしげ 左衛ざえ もん に持たせてあった青竹詰めの名残の酒を取り出させた、
いぜん空には一点の雲もなく、木の葉洩る陽が眼を刺すように白かった。
「もはや、殿が落ちさせたもうてから、一刻あまり、別れのさかずき を汲み交わして、兄者あにじゃ は、すぐに殿のあとを追うて下され」
まず一杯を茂左衛門に注ぎ、自分も舌を鳴らしてのみ乾した。
勝介かつすけ (家照) 、わしもここは退かぬぞ」
兄の茂左衛門は笑いながら盃をおいた。
「こなた一人を殺して、わしが生きて帰ったでは、お袋どのに笑われるわ」
「これはまた なことを、ここでの討ち死には意地からでござる。それがしは殿の意地をお果たし申す。が、年老いたお袋さまに、二人死んだと知らせては、一人は犬死と、この家照までが叱られましょう」
「ハハ・・・・」
と、兄は笑った。
「まあよい。一度死ねば、二度は死なぬわ」
しぐ足もとの谷で、とき の声と鉄砲の音とが、山を すってわきあがった。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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