片桐助作は、用心深く小首をかしげて考えて、 「かく敵が移動しておりますからは、味方も密
かに賎ケ岳へ移って待ち、夜の白々明けに、いっせいに襲いかかるがよろしかろうと存じます」 「なるほど、今すぐには掛からずに、賎ケ岳の北へまわって待てと言うのだな。虎之助はどう思うぞ」 秀吉に再びわが名を呼ばれて清正はぬっと巨体をのり出した。 「助作が所存、悪
しからず」 「悪しからずか。虎が答えは、ちぎって投げるようだの。市松は?」 「一隊は作助が申すように、北の山ぎわに進んでおき、一隊は、いますぐに追尾して、敵の胆を夜のうちから冷やしつづける。勝ち戦に遠慮は無用と心得まする」 「よろしい!」 秀吉は膝をたたいて、ぐるりと馬廻りの者を振り返った。 「市松が説を採って、ただちに敵を追尾しながら、一隊は、夜明けの敵潰乱
の折に備えて賎ケ岳へ急行させることとする。よいか、いま名を呼ばれた者は、それぞれ手勢を連れて先行せよ」 大垣から十三里余りの道のりを五時間で駆けつけた秀吉は、休む間もなく、田上山から茶臼山に移ってきて、さらに疲労の色も見せず、ただちに敵に挑みかかろうというのであった。 「よいか、敵は昨日一日戦うて、ホッとする間もなく薄氷を踏んで退く敵じゃ。今日は法度
を許すゆえ、名を呼ばれた者は賎ケ岳にて、思うさま敵を引きつけて手柄を競
え。一刻早く敵を討ち取れば一刻早く、半刻早く敵を討ち取れば半刻早く休めるのだと思うがよい」 「おう!」 「では名を呼ばれた者は、大きく答えて右へ出よ。福島市松」 「はいッ」 「加藤虎之助」 「おう」 「加藤孫六
(嘉明
) 、片桐助作」 「はいッ」 「脇坂安治、平野
長泰 」 「はいッ」
「おう」 「糟谷
助右衛 門
・・・・助右衛門はおらぬか」 「はい、助右衛門はただいま、草むらにて用達
中にござりまする」 「なに用達中じゃと、用はゆっくり足しておけ。そして用が済んだら、皆に遅れるなと申せ」 「はいッ。そのように申しまする」 「次は、石川兵助、おなじく弟、長松」 「はいッ」 「以上九人、秀吉が荒小姓の名誉にかけて手柄せよ。他家の家臣にひけを取るなッ」 「おう!」 「助右衛門は参ったか」 「はい、ただ今・・・・」 「よし、夜明けまでには秀吉も、きっと駆けつけ、みんなの働きぶりを見ておるぞ。行けッ!」 「おう!」
「おう!」 「おう!」 選り抜きの荒小姓どもは、月光の中へそれぞれ自慢の槍を立てて雄叫
ぶと、そのまま先を争うて馬に乗った。 眼下の敵は依然ひっそりと退却をつづけている・・・・ |