〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/17 (土) 玄 蕃 崩 れ (四)

片桐助作は、用心深く小首をかしげて考えて、
「かく敵が移動しておりますからは、味方もひそ かに賎ケ岳へ移って待ち、夜の白々明けに、いっせいに襲いかかるがよろしかろうと存じます」
「なるほど、今すぐには掛からずに、賎ケ岳の北へまわって待てと言うのだな。虎之助はどう思うぞ」
秀吉に再びわが名を呼ばれて清正はぬっと巨体をのり出した。
「助作が所存、 しからず」
「悪しからずか。虎が答えは、ちぎって投げるようだの。市松は?」
「一隊は作助が申すように、北の山ぎわに進んでおき、一隊は、いますぐに追尾して、敵の胆を夜のうちから冷やしつづける。勝ち戦に遠慮は無用と心得まする」
「よろしい!」
秀吉は膝をたたいて、ぐるりと馬廻りの者を振り返った。
「市松が説を採って、ただちに敵を追尾しながら、一隊は、夜明けの敵潰乱かいらん の折に備えて賎ケ岳へ急行させることとする。よいか、いま名を呼ばれた者は、それぞれ手勢を連れて先行せよ」
大垣から十三里余りの道のりを五時間で駆けつけた秀吉は、休む間もなく、田上山から茶臼山に移ってきて、さらに疲労の色も見せず、ただちに敵に挑みかかろうというのであった。
「よいか、敵は昨日一日戦うて、ホッとする間もなく薄氷を踏んで退く敵じゃ。今日は法度はつと を許すゆえ、名を呼ばれた者は賎ケ岳にて、思うさま敵を引きつけて手柄をきそ え。一刻早く敵を討ち取れば一刻早く、半刻早く敵を討ち取れば半刻早く休めるのだと思うがよい」
「おう!」
「では名を呼ばれた者は、大きく答えて右へ出よ。福島市松」
「はいッ」
「加藤虎之助」
「おう」
「加藤孫六 (嘉明よしあき ) 、片桐助作」
「はいッ」
「脇坂安治、平野ひらの 長泰ながやす
「はいッ」 「おう」
糟谷かすや 助右衛すけえ もん ・・・・助右衛門はおらぬか」
「はい、助右衛門はただいま、草むらにて用達ようたし 中にござりまする」
「なに用達中じゃと、用はゆっくり足しておけ。そして用が済んだら、皆に遅れるなと申せ」
「はいッ。そのように申しまする」
「次は、石川兵助、おなじく弟、長松」
「はいッ」
「以上九人、秀吉が荒小姓の名誉にかけて手柄せよ。他家の家臣にひけを取るなッ」
「おう!」
「助右衛門は参ったか」
「はい、ただ今・・・・」
「よし、夜明けまでには秀吉も、きっと駆けつけ、みんなの働きぶりを見ておるぞ。行けッ!」
「おう!」 「おう!」 「おう!」
選り抜きの荒小姓どもは、月光の中へそれぞれ自慢の槍を立てて雄叫おたけ ぶと、そのまま先を争うて馬に乗った。
眼下の敵は依然ひっそりと退却をつづけている・・・・

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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