〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/17 (土) 玄 蕃 崩 れ (三)

月がようやく伊吹いぶき 山系の北に姿をのぞかせるころには、秀吉もまた、一度のぼって敵情の偵察に当たった田上山を馳せ下り、そのまま街道を西に越えた大岩山と賎ケ岳の双方を見通せる茶臼ちゃうす 山にのぼりかけていた。
狐塚まで出て来ている勝家の本隊を牽制けんせい させる策戦の打ち合わせは終わって、佐久間盛政の退却を見通し、これが動き出したらただちに追撃戦を開始するためであった。
とにかく、佐久間盛政と、その弟、柴田三左衛門勝政の主力を撃滅すれば、勝家はその手足をもがれた結果になる。
といって、手足に戦いを挑んでいる間に、勝家の本隊に出て来られては、両面の敵に対さなければならなくなろう。
そこで、左禰さね 山にあった堀秀政の主力と、田上山にあった羽柴秀長の手勢約一万をもって狐塚前面に、東野に進出させ、勝家の出撃を封じておいて、みずからは、余呉湖の西方に、佐久間勢の粉砕を期して追撃戦を展開するつもりであった。
「どうじゃ、月は出たか、佐久間勢は動き出したかの」
茶臼山にのぼるとすぐに、北西の端に馬をすすめて、銀色に煙る眼下の窪地へ眼をこらした。
「動き出したようにござりまする」
「ふーん。あれじゃな。尾野路おのじ 山の方へ、旗を巻いて引き揚げると見えるの」
秀吉は、荒小姓たちに取り巻かれて、じっとその速度を計っている様子だったが、
「いやはや、哀れな者よ、盛政も」
と、聞こえよがしにつぶやいた。
「よくよく若いころの勝家に似た猪での、とうとうわしのかけた罠にかかったわ」
「と、仰せられまするが、あの退きようは、整然として少しも隙がございません」
「誰だ。今、何か申したのは?」
「はい。虎之助清正でござりまする」
「虎之助か。よく教えておくが、月の出を待って退かねばならぬような戦はせぬものじゃぞ」
「はいッ」
「月の出を待って進みのとは事が違う。進むのならばいま、その方たちが味おうているように、いよいよ凛々りんりん と勇気は湧く。が退くのでは、いかに整然と見えても心の中は寝乱れ髪じゃ。必ずどこかで破綻はたん を来たす。時にいま何刻ごろじゃ」
「もはや、八ツ (午前二時) に近いかと思われまする」
「今、答えたのは誰だ」
「市松 (福島正則) でござりまする」
「市松は、あの速度で、夜が明けるまでに何ほど退けると思うて見たか」
「されば、夜の白々しらじら 明けまでには、せいぜい賎ケ岳の左、掘切 (飯浦坂) までくらいかと心得ます」
「堀切へ出て来ればしめたものじゃが、堀切近くには誰がいたかの」
「盛政が弟、三左衛門勝政でござりまする」
「では盛政の殿しんがり は誰がつとめると思うぞ。おう、そちは兵助 (石川) か、兵助、意見をのべてみよ」
「はッ、やはり原彦次郎どのであろうかと、みなみな話し合っておりましたところで」
「なるほど、さして予の意見と違わぬな。助作 (片桐かたぎり 且元かつもと ) そち、あの引き揚げ方を見て、われらは何刻から追尾ついび するがよいと思うか」
秀吉はいかにも楽しげに、荒小姓の一人一人へ話しかける・・・・

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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