佐久間勢は、桑山重晴をして賎ケ岳の砦をうまうあmと明け渡させたと思っているところへ、丹羽長秀の援軍が現れて、いったん山をおりかけた桑山勢もまた引っ返して来たと知って、やむなくその夜は攻撃の手をゆるめた。 早暁からの山岳戦
で、味方の疲労ははなはだしい。それに、前田利家以下の動きは活発を欠き、勝家自身も、早く引き揚げよとばかりで平地に出てくる気配はない。 そこで大岩山の麓
に陣営し、夜の明けるのを待って、賎ケ岳をくだし、岩崎山、大岩山、賎ケ岳の一線を確保して長浜平野への出口を固めようとし、その夜は早く野陣で眠りかけていた。 と、五ツ半ごろになって、急にあたりがガヤガヤと騒がしくなって来ている。 月の出は九ツ
(十二時) すぎ。 (何であろうか・・・・?) と耳をすますと、雑兵
どもの声高な話し声であった。 「こりゃおかしい。あの万灯会のような松明の行列はただごとではないぞ」 「いかさま、これは何万という大軍の参陣じゃ」 「何万というたら、いい加減の大将ではない。こりゃ、美濃にいると見せかけた秀吉が、どこぞへ隠れていたのではあるまいかの?」 「バカなことを、秀吉は、たしかに大垣から東へ出て戦っているはず。いくら、早く引き返しても、明日中にここへ着くという事はない。それにしても、美濃街道から木ノ本は松明の海じゃぞ」 「おん大将は知ってござろうか?」 「誰かお側の者がお耳に入れているであろう」 佐久間盛政はこのささやきでガバと起き直った。 「これ、誰かある。物見を砦へ・・・・」 言いながら、そのまま幕舎を出て、左手の大岩にかけのぼった。 雑兵の言うとおり、これはただ事ではない。まさに見渡す限りの火の海だった。 「秀吉、参陣と見えまする」 太刀をささげて来た小姓に、そう言われたときには、ゾーッと背筋が寒くなった。 「たわけた事を申すな。秀吉とても鬼神
ではない。大垣から、かくも早く参陣がなるものか。心強く思え!」 口ではきびしく叱りながら、その実、すぐに偵察を出さずにはいられなかった。 「安井
はおらぬか。左近 を呼べ」 「はッ、安井左近はこれに控えておりまする」 「左近、心利
きたる者を物見にやれ、誰の参陣か、しかと探って来いと申せ」 「かしこまりました」 左近があわてて物見の岩を下がってゆくと盛政はもう一度、半ばうっとりと松明の動きを見つめた。 心のどこかで、はげしい悔いが、じりじりと血肉を噛んで来る。 (一応敵撃破のうえは必ず引き揚げること。その約束なら動くもよかろう) 伯父の勝家に繰り返し繰り返し言われていながら、今日の暮れ方、ついにここで夜陣を張り、退却を聞き入れなかった盛政なのだ。 (もしや、これが、まこと秀吉の参陣あったら・・・・) そのときには、もはや面目にはこだわらぬ。月の出を待って引き揚げるよりほかにあるまい・・・・ そうした感懐
で、じっと立ち尽くしているうちに、 「物見の者が戻りました」 と、安井左近の声であった。 |