〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/13 (火) 賎 ヶ 岳 (七)

「われらもいささか腕に覚えの武辺者ながら・・・・」
桑山重晴は、相手がじりじりするほど、ゆっくりとした口調で、
「何分にも羽柴筑前どのは、岐阜攻めにyかれて留守と来ているでのう」
「留守中ゆえ、この賎ケ岳の陣地、渡せぬと言われるのかッ」
使者の直江田又次郎は、舌打ちして問い詰める。
「さあ、そこが相談じゃが、もし渡せぬと申したらどうなるかの」
重晴は深沈しんちん と首をかしげて、いかにも未練そうにまたたずねた。
「知れてあること。すでに高山右近は砦を捨て、大岩山の中川清秀も討ち死にときわまった。もしごへん が渡さぬとなったら、腕ずくで落とすまでのこと、わざわざおたず ねなさるにも及ぶまい」
「と言われるが、まだ本陣の木ノ本が陥ちたというではなし、丹羽長秀どのが討ち取られたというでもないでなあ」
「では、大岩山と同じように、全滅しても一戦するというのじゃな」
「いや、それは即断すぎる」
「なに、即断すぎると・・・!?」
「さよう、さ左禰さね 山では堀政秀どのも見てあろうし、筑前どのとて、知らせを聞いたら、もう一度引き返そう。そのときには桑山重晴は、手もなく砦を捨てて逃げうせたと言われては、それがしの面目も立たなくなる」
「それゆえ、一戦するというのか、せぬというのかッ」
「そこでござるよ。軍使どの」
重晴はとつぜんハハハ・・・・と、とってつけたような笑いをはさんで、
「貴殿も武士でござろうが」
「武士なればこそ、礼を尽くして、この勝ち戦に貴殿のお相手をしているのだ。それがしは、貴殿のように気の長いご仁は初めてじゃ」
「その辺のことはよく分ってござる。が、世のことわざ に、後悔先にたたずとある。それゆえ、あれこれ勘考してみたのだが、やはり、今すぐ、この砦をお渡しするわけには参らぬようじゃの」
「な、なにッ、では戦うと言うのだな。分った! おん大将が手具てぐ すね ひいてお待ちかねじゃ。すぐに山を馳せ下って、改めて弓矢の間で見参けんざん しよう」
「それそれ、そこが短気でござるよ。まだそれがしは思案のなか ばしか申しておらぬ。今すぐ砦を渡すというのは余りにどうもな。お陽さまがカンカン照っていて面映おもは ゆい」
「それで・・・・それでどうすると言わっしゃる?」
「されば・・・・陽の落ちるまで、下から空砲でも射ちながらお待ち下さるまいかの。当方でもときどき喊声かんせい をあげてみたり、無駄矢を射たり、空砲を放ったりして、お相手申そう」
「なんと言われる!? では夜になれば砦を捨てるゆえ、それまでふみとどまって戦っているように見せかけろと言わっしゃるのか」
「貴殿も武士と言われたの。お互いに、陽のあるうちに、あまりあっさり砦を渡すのも、どうも面映ゆいものでなあ」
「分った! では日が暮れ落ちたら、きっと砦を渡すと言わっしゃるのじゃな」
「渡すも渡さぬも、日の暮れを待ってこちらはさっさと退転する。さすれば双方とも、面目も立ち、兵も損ぜぬ。いかがでござろう。この旨、佐久間どのに取り次いでみていただけまいかの」
軍使は唖然あぜん として、重晴の顔を見返すばかりだった。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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