〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/12 (月) 賎 ヶ 岳 (六)

清秀の注意で、いちど射るのをやめた味方の矢が、いちどに敵の先手さきて へ射込まれた。
三方へ分けられたわずかな鉄砲も、しきりにあちこちで火を噴いている。
敵の先手は、二、三十間の近さにまで近づいて、いったん二、三丁後退した。
清秀自身が号令したのではなかった。
全身に戦いのこつを刻みつけた乱世の男どもが、吸い寄せられるように七、八十本の槍をそろえて突き入った。
「ワーッ」
「ワーッ」
と、双方の怒号が青空の下でからんだ。
しかしそれもしばらく・・・・そこから一人も戻って来る者はなかった。
再び敵の前進が始まった。
もはや陽は高くあがって、じりじりとかぶと鉢金はちがね を焼いている。いぜん清秀は、久尺 の槍を突いたまま動かない。
第二隊が、また清秀の右手から敵の中へ突き入った。
すでに矢は射つくし、鉄砲の音もやんでいる。
(もう注進は、秀吉のもとへ届いているであろうか・・・・?)
ふと清秀がそれを想った時、第三隊が、敵中へはせ下った。
完全な乱戦で、敵味方の怒号が清秀の周囲を取り巻いて来そうであった。
「殿!」
と、一人がうしろから駆けて来て、
「北口が敗れました。敵がこれへうしろから」
清秀は、その声ではじめて槍を取り直し、もう一度小腰をかがめてこれをしごくと、
「南無八幡! 中川瀬兵衛清秀が最期ご照覧しょうらん 下され」
そのまま一直線に、いまや山頂に取りつこうとする敵の中へ突き入った。
うしろからバラバラと近侍きんじ がこれに従ったが、その数は二十に足らず、むろん、それが清秀の姿のこの世における最後のものであった。
大岩山は陥落かんらく した。
時に、四ツ半 (十一時) すぎ ──
まさに正午を迎えようとして、あざやかな陽に新緑のまぶしく光る時刻であった。
同じ時刻に隣の賎ケ岳の砦では、いま、佐久間玄蕃盛政の軍師を迎えて、この砦の主将、桑山重晴が、これに対応しているところであった。
主将の桑山重晴は、但馬たじま竹田たけだ で一万石を領し、当時は丹羽長秀の組下となり、この賎ケ岳の砦を守っていたのだが、彼は、はじめから中川清秀のようにはげしい戦意は見せなかった。
柴田勝政が、余呉湖よごのうみ の西に出てしきりに戦を仕掛けるのに、すすんで攻めようとはせず、かえって退却の用意にかからせたのである
この空気は当然寄せ手に反映する。
「── おかしいぞ。これは砦を捨てて逃げる気らしい」
そうなると、敵も死傷は避けたくなる。そこで盛政から、
「── 即刻、砦を渡して引き揚げるよう。さすれば、われらも追い討ちはかけまい」
と、なお 江田えだ 又次郎またじろう を使者として掛け合いによこしたのだ。
山頂の仮り屋で使者の口上を聞くと、
「そうさのう」
どこか家康に似た風貌の重晴は、丸い顔をかしげて考え込んだ。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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