佐久間玄蕃盛政は、行市山の陣地に戻ると、 「天はわれらに味方した。遅月が道を照らそう。明日は丑
の刻 (午前二時) より行動を起こそうぞ」 と、みんなに触
れた。 新しく麾下に加えられた不破、徳山、原のほかに、弟安政の人数を加えると、盛政の軍勢は約一万五千。 勝家もまた盛政の行動を助けるために、同じ時刻に街道
をやく一里南下して狐塚
まで本陣を進め、左禰 山にある堀秀政に備えることとなっていたし、前田利家父子も、別所山から約半里、明神山の西北四丁あまりの茂山に移って敵に備えることとなった。 それだけに丑の刻かっきり行市山を発する時、佐久間盛政は月を仰いで聞こえよがしに笑って言った。 「月神よ。今こそこの鬼佐久間が戦いぶりをご覧に入れよう。よく見ておざるがよい。そして、明夜は木ノ本の猿めが本陣で再び会おうぞ。それまで静に山路を照らし候え」 それから、くるりと馬首をみんなに向けて、 「勇めや者ども、明け六つ
(午前六時) までは蹄
の音をしのばせて、大岩山の中川清秀、岩崎山の高山右近、賎ケ岳の桑山
重晴 をおっ取り囲むのだ。そのうえで寝ぼけた敵を蹴散らし、昼食
は敵の本陣、木ノ本の陣屋できっととろうぞ」 軍扇をひらいてそう言うと、まっ先に南へ向かって馬をおどらせた。 本隊は行市山から峰伝いに大岩山へ迫り、一部は集福寺
坂から西に下り、塩津谷
を迂廻 し、権現
坂を東へ越えて余呉湖
の西に出る。 さらに柴田勝家の一隊は、大岩山の西方に出て賎ケ岳の桑山重晴を圧迫する・・・・ 盛政の言うとおり、隠密に行動してゆくうちは月光が山路を照らし、夜が明けかかると、ぞくぞくと湧き出た霧が柔らかく彼らの動きを包んでくれた。そして、いきなり山から谷、谷から山へ最初の銃声がとどろき渡った時には、すでに山頂に霧はなかった。 大岩山は中川清秀。 岩崎山は高山右近。 いちばん湖よりの賎ケ岳には桑山重晴。 いずれも一千あまりの手勢で守備しているところへ、いきなり大岩山の砦
をめがけて発砲し、つづいて天地へとどろく喊声
であった。 まさに虚をつかれたのである。 といって、中川瀬兵衛清秀もまた、歴戦の猛将だった。 「急いで危急を岩崎山と、賎ケ岳に告げよ。敵は佐久間玄蕃に相違ない。力を協
せて蹴散らそうぞ」 ただちに、鉄砲隊を動員して、まず応射せしめたのち、槍隊を真っ先にして、山裾の薄霧の中へ突撃せしめた。 っしかし、そのときには、三つの砦の横の連絡はとれなかった。注進の者が、やむなく途中で引き返して、その旨を中川清秀に告げていくと、瀬兵衛清秀は、みずから槍を取ってしごきながら、 「敵の数はどれほどぞ」 と、とぼけたような声で訊いた。 「はい、峰から谷・・・・どの山路も旗と兵でいっぱいでござりまする。おそらく二万以上かと・・・・」 「言うな。二万と見たら三分の一と思え。が、さて、おかしなところへ死所はあるものじゃの」 そうつぶやいて、ゆっくりと物見台に登って小手をかざした。山裾の霧もきれいに晴れている。 |