その時はすでに十九日の正午すぎ。 明二十日の早暁を期して、秀吉の軍兵は揖斐川をおし渡って一挙に岐阜城へ攻め入るという・・・・ 甥の佐久間玄蕃盛政に急き立てられて、勝家は思わず眼を閉じた。 瞼の裏で、病み衰えた勝豊が、最後の力をふりしぼって、わが腹へ短刀を突き立てていく姿が、あやしい幻
となっておどり狂った。 (そうか、やはり降服したままでは、死ねなかったのか勝豊も・・・・) 「伯父上・・・・」 また盛政はもどかしそうに草摺りを鳴らした。 「万一猿めが、われらの動かぬうちに岐阜城を陥
れたら何となされます!? 鬼柴田の面目が立ちまするか。敵も明早暁の渡河とあれば、見方も呼応して行動を起こしてこそ、猿めの心も乱れ、岐阜への義理も立ちましょう。かかる好機を前にして、何をご思案なさるのじゃ」 「盛政・・・・」 勝家は、しずかに甥の言葉をさえぎって、 「将監が謀者の申し条、おこともよく確かめたか」 「仰せにや及ぶべき、同じ長浜衆の、大金
藤八郎 からも寸部違わぬ報告がござりました」 「よしッ」 と、勝家は一諾
した。 「では、軍評定を開くとしよう。が、盛政、これはどこまでも前哨戦
じゃぞ。敵の砦の一つ二つ抜いたとて、勢いに乗ってうかつに平地へ出てはならぬぞ」 「その辺の駆け引き、充分心得ておりまする」 「うかつに平地へ出たところで、万一、秀吉に引っ返されると・・・・心にかかる事がある」 「心にかかる事があるとは?」 「対岸の海津
にあって、敦賀 とこの地を睨んで動かぬ丹羽長秀の動静じゃ。万一当方から撃って出て、長秀に湖水を渡られ、退路を断たれたら何とするぞ。この山峡で一度浮き足立った軍兵は、いかなる猛将も支え得ぬこと、そのかみの朝倉勢が末路をわれらはこの眼で見ているのだ」 「ハハハ・・・・」 と、盛政は笑った。 「この盛政とて、伯父上同様、鬼と異名を取ったる者、その駆け引きにはぬかりはござりませぬ。伯父上の采配どおりに敵の虚をついて見せまする。ではさっそく、各陣地へ集合の狼火
を」 「よし、きっと深追いは禁ずるぞ。それから狼火は敵にさとられる。安政! 急いで使いを出してやれ」 こうしてついに雨あがりの十九日、北国勢もまた二十日の早暁を期して攻勢に転ずるため、内中尾山の勝家の本陣へ集まって、軍評定を開くこととなった。 そしてその結果、別所山にあった前田利家、利長父子をして茂山に移らせ、秀吉方の明神山にある木村
隼人 、堂木山にある木下一元
らに備えさせ、橡谷
山、林谷山、中谷山の徳山五兵衛 (小松城主) 、不破
勝光、原彦次郎 (越中原森城主) の軍勢をそれぞれ盛政の麾下
に加えて、二十日早朝から秀吉の最前線、大岩山の中川清秀が陣地に襲いかからせることとなった。 その夜はすっかり雨があがって、遅月が若葉の山から山を銀色に照らしていた。 |