〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/10 (土) 賎 ヶ 岳 (三)

その時はすでに十九日の正午すぎ。
明二十日の早暁を期して、秀吉の軍兵は揖斐川をおし渡って一挙に岐阜城へ攻め入るという・・・・
甥の佐久間玄蕃盛政に急き立てられて、勝家は思わず眼を閉じた。
瞼の裏で、病み衰えた勝豊が、最後の力をふりしぼって、わが腹へ短刀を突き立てていく姿が、あやしいまぼろし となっておどり狂った。
(そうか、やはり降服したままでは、死ねなかったのか勝豊も・・・・)
「伯父上・・・・」
また盛政はもどかしそうに草摺りを鳴らした。
「万一猿めが、われらの動かぬうちに岐阜城をおとしい れたら何となされます!? 鬼柴田の面目が立ちまするか。敵も明早暁の渡河とあれば、見方も呼応して行動を起こしてこそ、猿めの心も乱れ、岐阜への義理も立ちましょう。かかる好機を前にして、何をご思案なさるのじゃ」
「盛政・・・・」
勝家は、しずかに甥の言葉をさえぎって、
「将監が謀者の申し条、おこともよく確かめたか」
「仰せにや及ぶべき、同じ長浜衆の、大金おおがね 藤八郎とうはちろう からも寸部違わぬ報告がござりました」
「よしッ」
と、勝家は一諾いちだく した。
「では、軍評定を開くとしよう。が、盛政、これはどこまでも前哨戦ぜんしょうせん じゃぞ。敵の砦の一つ二つ抜いたとて、勢いに乗ってうかつに平地へ出てはならぬぞ」
「その辺の駆け引き、充分心得ておりまする」
「うかつに平地へ出たところで、万一、秀吉に引っ返されると・・・・心にかかる事がある」
「心にかかる事があるとは?」
「対岸の海津かいづ にあって、敦賀つるが とこの地を睨んで動かぬ丹羽長秀の動静じゃ。万一当方から撃って出て、長秀に湖水を渡られ、退路を断たれたら何とするぞ。この山峡で一度浮き足立った軍兵は、いかなる猛将も支え得ぬこと、そのかみの朝倉勢が末路をわれらはこの眼で見ているのだ」
「ハハハ・・・・」
と、盛政は笑った。
「この盛政とて、伯父上同様、鬼と異名を取ったる者、その駆け引きにはぬかりはござりませぬ。伯父上の采配どおりに敵の虚をついて見せまする。ではさっそく、各陣地へ集合の狼火のろし を」
「よし、きっと深追いは禁ずるぞ。それから狼火は敵にさとられる。安政! 急いで使いを出してやれ」
こうしてついに雨あがりの十九日、北国勢もまた二十日の早暁を期して攻勢に転ずるため、内中尾山の勝家の本陣へ集まって、軍評定を開くこととなった。
そしてその結果、別所山にあった前田利家、利長父子をして茂山に移らせ、秀吉方の明神山にある木村きむら 隼人はやと 、堂木山にある木下一元かずもと らに備えさせ、橡谷とちだに 山、林谷山、中谷山の徳山五兵衛 (小松城主)不破ふわ 勝光、原彦次郎 (越中原森城主) の軍勢をそれぞれ盛政の麾下きか に加えて、二十日早朝から秀吉の最前線、大岩山の中川清秀が陣地に襲いかからせることとなった。
その夜はすっかり雨があがって、遅月が若葉の山から山を銀色に照らしていた。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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