〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/09 (金) 吹 雪 の 城 (八)

相変わらず乾ききった手で、粉雪は雨戸の面をあらあらしく撫でてゆく。
時々建物全体が 、不気味な音を立ててきしんだ。
「父は・・・・」
権六郎はお市のゆがんだ表情を見るにしのびず、眼を閉じたまま呼吸をととのえた。
「父は、姫たちはむろんのこと、母上にこの不運をにな わせたくないと言います。それでのうては浅井長政どのと士道の勝負で負けになる。それゆえ、相なるべくは、母上を、ここで別離して来るように・・・・しかしこれは父に意見、母上にご意見あらばうけたまわりとう存知まする」
「離別を・・・・」
「はい、今のうちならば、府中の前田利家を通じ、さらに丹羽長秀か、細川藤孝の手もとへみなを送り届けられる。万一合戦となってからでは士気にもかかわる事ゆえ、その道もとざされるやも計られぬ・・・・と、父は案じておりました」
あまりのことにお市の方は痴呆ちほう のようにな眼をして答えもない。
「それに・・・・」
と、権六郎はいよいよ静に言葉を続けた。なるべくこの不孝な、若い母をおどろ かせまいとするのであろう。
「お茶々どのから、この権六郎へ、内々に話もござりました」
「な、な、なんと言われまする。茶々から、若殿へ」
「はい」
権六郎は開きかけた眼を、また改めて閉じ直して、
「若い者には若い者の心が分ると、思われたのでござりましょう。私に本心を聞いてたもれと甘えて言いました」
「なんと・・・・なんと、申したのでござりましょう」
「女子は男たちの玩具おもちゃ ではないと言われました」
「それならば、あの子の口癖でござりまする。ほかに何か・・・・」
「実父の浅井長政どのと、伯父の右府さまの争いで、何も知らぬ私たちは、さんざん悲しい目に会うた。またここで、自分たちには何のかかわりもない事で、義父と筑前の意地や争いの犠牲ぎせい になる・・・・それでは何のために生まれてきたのか分らぬと言われました」
「まあ・・・・そのようなことを!?」
「この権六郎にはよく分りまする。戦国の世では男は女の意見など・・・・聞いてやりとうても聞き入れられぬ。もっと つまったぎりぎりの世界におかれている。私は茶々どのに詫びました。悲しいことじゃが、許してたもれと・・・・」
「それで分ってくれましたか」
権六郎は微笑して首を振った。
「私の言葉に同意させようとして詫びたのではござりませぬ。茶々どのの心はよく分ったゆえ、必ず三人の生命は助けるように取り計らおうと、権六郎勝久、固く約束しました」
「それで におちました!」
思わず、お市の方の声がはずんだ。
「賦におちられたとは?」
「されば・・・・あの子は先ほどこの母に、子たちの母か、良人の妻かと、強い言葉で責めていきやった。双方の、母であり妻であると答えたら、それなら母はいらぬゆえ、立派な妻におなりなされと、叱りつけて出て行きました」

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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