お市の方は、全身を固くしたまま、心の動揺を扱いかねた。 (わらわだけが、何も知らずに、いたのであろうか・・・・?) いつになく、荒々しい怒りを見せた勝家。 母に絶縁を宣して出て行った茶々姫。 吹雪と寒さと、権六郎勝久の端正な姿と。 これはみな、おいちのお市の方の心を狼狽
に捲きたてる突風であり、惨雨
であった。 したがって、再び落ち着いて語り出した権六郎の話は、しばらく耳には入っても心には通らなかった。 「伊勢の亀山城には、佐治
新介 がこもっておりました。兵数はせいぜい一千。しかし矢倉は高い岳上にそびえ、石垣も並の石垣ではなく、これだけは秀吉も落とせまいと滝川一益の手紙にござりました。ところがこの小城ひとゆ落とすのに、秀吉は四万もの兵を集めて包囲したのでござりまする。いかに堅固な山城でも、金堀り人足百人を使役
して、坑道をうがちながら下から攻められたのではたまりませぬ。ついに一益どのの方から城将佐治新介に、城を捨てて長島へのがれ出て来いとすすめたげにござりまする」 「まあ・・・・千人に四万もで・・・・」 「はい、ここらが秀吉の恐ろしいところであり、同時に偉いところでもございましょう。奇略縦横と見せかけて、その実、彼は敵よりも少ない数で、戦いに臨んだことは一度もござりませぬ」 「・・・・」 「挑むときには必ず敵に数倍する兵を引っさげ、相手の内部へ攪乱
の手をさしのべながら攻めかかりまする。したがって、彼が兵を動かして戦うて、負けたことは一度もありませぬ。勝つようにして戦うのでござりまする」 「まあ・・・・」 「その秀吉が、雪解けとともにやって来る・・・・」 権六郎はそう言うと声をのんで、じっと、この若い義母を見据えていった。 お市の方はギクリとした。またうっかりと、三人の子のまぼろしを追っていたのだ。 「お分かりでござりまするか。負けた事のない秀吉、負けるような軍勢では決して戦をせぬ秀吉が、必ず雪解けにやって来るのでござりまする」 「わかりました」 お市の方はあわてて唾
をのみこんで、 「では、では、降参か籠城
か、二つに一つの時が来たと・・・・」 「いいえ」 権六郎は静に首を振って微笑した。 「一つに、一つのときでござりまする」 「と、言われると?」 「秀吉が下風
には立たれぬ。父の思いは、これ一つでござりまする」 お市の方はザクリと一刀、脳天へ斬り込まれたような気がした。 「なるほど・・・・それでは、一つに一つ」 「戦って死ぬのでござりまする。母上にはお覚えがござりましょう。浅井
長政 どののご父子も、右府さまに降
れば助かること、万々
分っていながら小谷 の城でお果てなされた・・・・」 「は・・・・はい」 「同じ運命が、こんどはこの城に・・・・と、なりますると、母上や姫たちにも二度、同じ悲運がおとずれる事になりまする」 権六郎はそこまで言って、そっと両眼を閉じていった。
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