〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/09 (金) 吹 雪 の 城 (六)

権六郎勝久は侍女に案内されて来ると、
「母上、毎日のこの吹雪つづき、ご機嫌よくわたらせまするや・・・・」
父よりはるかに上品な華奢きゃしゃ な体で、礼儀正しく両手をついて挨拶あいあつ した。
「ほんによく降りつづきますこと・・・・」
「はい、天候までが、われら一族をからかっているかに思われまする。すでに二月のなか ばになってこのように降りつづくとは」
「さ、火桶の側へお寄り下され。して、どのようなご用でござりましょう」
気にかかるままに訊き返すと。
「父の命でお話に参りました」
権六郎ははっきりと言って、それから慎ましく膝に手を重ねていった。
「大殿の言いつけで」
「はい、母上のご意見をよくうかごうて参れと父の言葉でござりまする」
「わらわの意見・・・・わらわの意見ならば、たびたび殿に言上して、今朝もひどく叱られました」
すると権六郎は、かすかに頬を上気させ、
「そのご意見ではござりませぬ。世間の風のさんざんな吹きようを、よく説明申し上げたうえで、母上や姫たちの身の振り方についてのご意見でござりまする」
「え? わらわや姫たちの・・・・」
「はい、順序を追って申し上げます。すでに岐阜は、昨年の暮れ、秀吉に和を乞いましたること、ご存知のとおり・・・・」
「はい、それはよく聞かされておりまする」
「ところが正月末に至って、秀吉はついに長浜の勝豊をくだ してござりまする」
「え・・・・勝豊どのも・・・・降りましたか」
「噂によれば、勝豊は病勢いよいよ悪化して、もはや起ちがたいとか。それに秀吉はわざわざ京から名医を伴のうて養生させ、巧みに掌中しょうちゅう におさめた模様。それだけではござりませぬ。人質を出して降った勝豊が重臣どもは、丹羽長秀どのの手の者とひとつになった、この越前と近江の国境、片岡天神山にとりで を築き、われらの討って出るのをさまた げようといたしておりまする」
「まあ・・・・勝豊どのの家臣たちが」
「母上、それだけならば、あの剛腹ごうふく な父は、まだ母上に取り乱したところなど見せはしなかったと存じます。というのは、さらに大きな不孝の知らせが、吹雪に中へもたらされたのでござりまする」
「心がさわぐ、若殿、それは何であろう」
「秀吉の力攻めにあって、不落と誇った伊勢の亀山かめやま 城がおちい り、さらに滝川一益の長島ながしま 城も落ちてしまった・・・・もはや、この越前に味方する者、近江の先には一人もなし・・・・父は・・・・父は・・・・それでいささか取り乱していた。母上にそう申せと言われてござりまする」
お市の方は、背筋がゾクゾクと寒くなった。
それほど事態が急迫していようとは知らなかったのだ。
「お許し下さりませ」 と、権六郎は姿勢を正して涙をおさえた。
「私までが取り乱しては使いが使いになりません。が、何分にもこの吹雪、滝川どのからどのような要請ようせい があっても一兵も動かせぬ父の焦慮しょうりょ ・・・・ご推察下されませ」
「分りました。やはり、わらわは女でした・・・・」
「いや、母上のご心配はわれらにとってもありがたきこと・・・・が、せでに和平の時は過ぎ去りました。雪解けを待ってこっちから討って出ねば、秀吉の大軍が押し寄せる事、火を見るより明らかでござりまする」
権六郎は形を改めて、また静に話しつづけた。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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