〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/09 (金) 吹 雪 の 城 (五)

お市の方は、良人も愛おしいし、子も愛おしい。そんな気持ちがあるものだということを、もう茶々姫に理解させておかなければ・・・・そう思って逆に問いかけていったのだが、茶々姫の方では間髪かんはつ を入れず、
「分りました」 と、鋭く答えた。
「母さまが、そのお気持ちなら、もううかがうことはございません」
「茶々どの・・・・」
お市の方はまた新しい不安に襲われ、
「分ったとは、どのように分ったのじゃ。良人も愛おしいが子も愛おしい・・・・」
「分りました」
茶々姫はまた斬り返すように、
「それならば、もはや母さまは、私たち姉妹の味方ではございません。母さまを楽にしてあげましょう。良人だけ愛おしい女子におなりなさるがよい。私たちは母さまから愛おしがられようとは思いませぬ」
「まあ・・・・」
お市の方は思わず息をつめて眼をみはった。
(いったい、この子は、何を考えているのだろうか・・・・?)
母を憶い、妹たちの身の上を案じて、だんだん感情をたか ぶらせて来ているのだと解していたが、今日の態度のうらには、それだけでは割り切れない、ある種の冷たさが感じられる。
母の愛情を奪われたという、義父への嫉妬とも違うようだし、母の身を案じる温かさの、裏のせえりとも違っていた。
「茶々どの」
「何でござりましょう。もう茶々には母さまのお心がよく分った。それゆえ何もうかがうことはございません」
「そなたの方になくとも母の方にある。こなた何か決心している事があるのであろう」
「ホホ・・・・」 と、茶々姫は笑った。笑いながらそのまま座を立って、
「生きているのですもの、茶々も二人の妹も。決心しなければならないときには決心します。でも、それは母さまに、何のかかわりもないこと・・・・母さまは、良人のためにお生きなさればいいのです」
そう言うと、ツーンと顔を立てるようにして、さっさと部屋を出て行った。
あまりのことに、お市の方は呼び止める機会もつかめず、追いかけてゆく心の用意も整っていなかった。
とにかくこの城にやって来て、この冬を迎えてから吹雪いているのは外ばかりでなく、この母子の間にも先の見えない冷たい白魔が吹雪きだしている。
「── 決心しなければならない時には、決心します」
そう言いきった言葉の裏に、何か三人で相談しあっている事があるようだった。
(そうだ達姫は言うなといえば口は堅いが、高姫にあとで訊けば分るであろう・・・・)
お市の方は、手を鳴らして侍女を呼び、火桶の火をつがせ、いすくんだようにその上へ手をかざした。
と、そこへもう一人の侍女がやって来て、
「権六郎君が、奥方さまにお目にかかりたいとお渡りでござりまするが」
権六郎勝久は、父の幼名権六をそのまま継いでいる勝家の嫡男で、年齢は長浜城の勝豊よりも二つ下であった。
「若殿が・・・・何のご用であろう。とにかく、これへ」
そう言おうと、ドキリと胸にこたえるものがあって、お市の方はうろうろと立ち上がった。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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