〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/08 (木) 吹 雪 の 城 (四)

「達どの、お泣きなさるなッ」
茶々姫は、やりきれなくなって末の妹を叱りつけた。
「この茶々はお二人の争わないのがたまらなかったのじゃ。争うはずなのじゃ。仲のよいいわれはない・・・・それゆえかえってホッとしているのじゃ」
達姫はびっくりしたように姉を見上げて、それでも素直に涙を拭いた。
「あ、母さまお一人になられた。茶々はお話があるゆえたずねて来ます。二人もその間に身じまいをなさるとよい」
勝家の暴々あらあら しい足音が廊下を去ってゆくのを確かめて、茶々姫は急いで小袖を重ねて部屋を出た。
いぜんとしてどこもかしこも陰気で暗い。
「母さま、お邪魔をいたします」
茶々姫はわざと強い語気で入っていって、お市の方があわてて涙を拭いているのを見ると、
「母さま、うかがいたいことがござりまする」
近々と母のそばへ坐って、火桶ひおけ をぐっと手前に引いた。
侍女たちはわざわざ遠ざけたのか、そばにはいない。
「何であろう、茶々どのは」
「うかがいたいことがござりまする。母さまの今の涙、それは、何の涙でございましょう」
「まあ きこんで、何の涙などと・・・・?」
「それは、心のうちを義父に言い当てられ、その場を取りつくうための涙でござりましょうな」
「茶々どのが、またしても妙なことを・・・・」
「では、どうした涙でございましょう」
「聞きたいとあらば申します。つくづくわらわは身にしみました。修理どのは、打つべき手を打つことよりも、戦が好きな生まれつきと分りました」
「男はみなそうかも知れませぬ。戦をさせなかったら、何をしでかすやら・・・・争いは地上に消えぬ・・・・と、神仏がお知りなされて、それで男をこの世に作ったのかも知れませぬ。が、茶々の いているのはそのような事ではない。母さまの涙でござりまする」
「それゆえ、どのようにわらわがすすめてみても、一向に聞き入れません」
「聞き入れないから泣いたのでござりまするか」
「さあ・・・・?」
母さまが想うているほど、修理は母さまを想うてくれぬ・・・それが悲しゅうて泣いたのでござりまするか?」
「まあ・・・・茶々はそのようなことを訊いてどうするのじゃ」
「覚悟しなければならない事があるゆえ、うかがいまする。それとも・・・・母子四人が安泰でいたいゆえ、それであれこれと口を出すと言われた・・・・義父の言葉が当たっていたゆえ泣いたのか・・・・この二つよりほかにはない・・・・どちらの涙か、それをお聞かせなさりませ」
お市の方はあき れたように茶々を見つめていた。が、やがてポーッと頬に紅を散らしていった。
茶々姫の質問は、良人がいと おしいのかわが子が愛おしいのかと、それを問い詰めて来ているのだ。
無理もない。母一人だけは手離すまいと、必死で生きて来た不運な娘たちだったのだ・・・・
「茶々どの」
お市の方はわざときびしい顔になろうとつとめながら、
「殿も、姫たちも、両方愛おしいゆえ泣いたのじゃ・・・・と、答えたら、こなたは何となされます?」

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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