〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/08/29 (月) 戻 り 梅 雨 (十一)

「殿・・・・」
と、勝兵衛は不審がって声をかけた。
「シーッ」 と、比田帯刀はそれを制して、自分も光秀のあとを追った。
再びシーンと竹薮は静まったが、その中に伏兵ありと察して光秀は駆け出したのに違いない・・・・帯刀はそう思った。
勝兵衛も帯刀の制止の意味をすぐにさとった。わざと彼は進士作左衛門を振り返って、
「お館、伏兵があるかも知れませぬ。ご用心を」
と、あたりへ聞こえるように言った。
「心得た。みなも用意」
光秀をかばおうとして、作左衛門は光秀になりすました。
空はほのぼのと明るみだったが、竹叢たけむら にはさまれた道は暗い。人影は見えても、具足の色や顔の見えるはずはない。
光秀、帯刀は先駆けして、作左衛門、勝兵衛の順になった。
そして、ものの七、八間も駆け出したかと思うと、右手の藪がカサカサッと鳴り、いきなりそこから竹槍がくり出された。
進士作左衛門は、危なく馬上でそれをかわ し、斜めなぐりに切っ先を斬りおとした。
斬りおとしながら、先行した光秀の身を案じて、
「ウーム」
と、手負った真似まね をした。
この真似は見事に伏勢をあざむいた。
「ワーッ」
と、十人近い人々の声が、道の両側から誘い出された。
「怖くはないぞ、大将らしいのに一突きくれたぞ」
「出て来てかかれ。みんなかかれ」
「今じゃ今じゃ」
その動きと越えは、敵の正体をはっきりと作左衛門や勝兵衛に知らしめた。
「土民じゃ。駆け散らせ!」
と、勝兵衛はどなった。
「案ずるな。伏せる者は落人狩の物盗りじゃぞ」
「おう!」
うしろから駆けつけた三宅孫十郎は槍、堀尾与次郎は太刀で、黒い影がもつれ合って道をふさいだ。
勝兵衛は作左衛門のわきをすりぬけて、
「案じられる。ご免!」
味方にだけ通ずる言葉を残し、そのまま前へ疾走した。
再び月は暗くなった。バラバラと竹の葉にあたるのは雨であろうか、露であろうか。
叢林が人家に近づき、所々に竹垣が混じりだした。
殿ともお館とも呼ぶことははば かられるので、勝兵衛はわざと馬に鞭をあて、
「それ行け! それ行け!」
とにかく見透しのきく所までと、鞍に上体をつけ、前方をのぞく姿勢で、光秀のあとを追った。
そして弓なりに右へまがった曲がり眼の竹垣の前まで来て、前方に道をふさいで立った馬影を見つけ、ドキンとして鞍を降りた。
まぎれもない光秀の乗馬・・・・
「殿!」
我を忘れて路面をすかし、そこから四、五間先に落馬し、脇腹をおさえて、かがむ光秀を見出すと、一瞬、茫然として立ちすくんだ。

「徳川家康 (八) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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