御牧兼顕は、声をはげまして光秀の草摺り
をたたいた。 「聞きわけのない! それでおん大将は天下人か。勝敗は兵家のつね、耳を澄ましてお聞きなされ。すでに天王山へ向かった部隊も潰走
し、敵のあげる鬨の声は、粟生
をめざしておりまするぞ。亀山街道を・・・・」 「それゆえ、わしは動かぬのだ。せめてここで討ち死にを・・・・」 「なりませぬ!」 叫ぶと同時に御牧三左衛門は立ち上がった。 いつの間にやって来たのか、光秀のうしろに頭を垂れて控えている溝尾勝兵衛の姿を認めて、 「勝兵衛どの、よいか、おん大将を頼んだぞ」 一度外の様子をうかがい、また引き返して念を押した。 「ここはお身代わりに、この兼顕が、おん名を犯して討ち死にする。有無
を言わさずおん大将を城に伴
い、城が危なくなったら坂本城までお供なされ、あ・・・・だんだん寄せて来た。さらば・・・・」 そのまますっと幔幕の外へ消えた。 こうして、御牧三左衛門兼顕は、円明寺川を押し渡り、一気に押し寄せて来た池田、高山両隊のまっただ中へ二百余人で斬って入った。 むろん、全滅だった。 いや、はじめから全滅する気で、光秀のもとまで駆け戻って来たのだから、彼にとっては悔いはなかったに違いない。 つづいて、天王山へ向かった部将のうち、諏訪飛騨守も討ち死に、伊勢与三郎もまた、山上から攻めくだった中川勢に討たれ果て、ここに明智勢の総敗北は決定的なものとなった。 それかたまた一刻
── 光秀は茫然として勝竜寺城の、畳をあげて囲んだ広間のうちの床几にあった。 溝尾勝兵衛が、御牧三左衛門の死を無駄にするなと迫ってここへ伴って来たのであった。 光秀が入って来たとき、勝兵衛は退いて城にこもった者約九百と告げたが、九百の兵があれば、この小城の内は相当人影が濃いはずなのに、妙に森閑
と静まり返って、聞こえるものは城外を駆け交う敵の人馬の音だけであった。 「殿、やはり、斎藤どのの申されたとおり、ここはひとまず坂本城へ引きあげなされますよう」 かたわらには、そのときのためにと、三宅
孫十郎 、堀尾
与次郎 、進士
作左衛門 、村越
三十郎 などが暗い表情で控えていた。 「たとえ雨はふりましても、十三日の月がござりまする。決して足もとの見えぬほど暗くはなりますまい。ご決心願わしゅう・・・・」 しかし光秀は答えない。 正直に言って五十五歳の体力は、ここ一ヶ月間の眼まぐるしい出来事によって消耗
しつくされた感じであった。 わけてもこの十三日間、信長を本能寺に討ってからの心身の疲労は深い。そして、その辛労の果てが今日のこのみじめな敗戦であった。 (果たして、いまの自分に、家族のいる坂本の城まで落ちてゆく体力があるであろうか・・・・?) そう思うあとから、信長の顔が見えたり、秀吉の顔が見えたり、勅使として安土へやって来た吉田兼見卿の顔が見えたりする。 「殿!
ご決断下さりませ」 と、勝兵衛はまた語気を強めた。 |