〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/08/25 (木) 戻 り 梅 雨 (二)

光秀にとって、もっとも大きな誤算は、信長の 「人気」 についてであった。
光秀にとって、このうえない暴君の信長は、細川、筒井などの光秀の縁者にむろんのこと、家康にとっても、柴田勝家にとっても、当の秀吉にとっても、つねに猜疑さいぎ と苛烈の白刃をかざして、寸時も油断のならぬ、 「暴君」 に違いないと思っていた。
現に、はやし 佐渡さど佐久間さくま 信盛のぶもり荒木あらき 村重むらしげ など、信長のために旧功を抹殺された人々と、その家臣は無数にある。
いわばそれらの人々の怨みと、現在ハラハラと信長に仕えている人々の内心の不安を取り除き、それぞれの本領安堵を計ってやったら、表面はとにかく、内心ではみな光秀に感謝するものと考えていた。
そう考えると、 「主殺し」 はさして問題ではなくなり、逆に 「暴君」 を取り除いた 「義人」 としての光秀が、ぐっと大きく浮かび上がって来るはずであった。
ところが、その計算は見事にはずた。彼が、禁中や、京都の市民などの感情に、あれこれときまかく心を配っている間に、 「逆臣討伐」 の軍は疾風を捲いて足もとに迫っていたのである。
信長は決して光秀が考えていたような、誰にとっても安堵のできない悪逆無道な暴君ではなかったらしい。
わが子信康のぶやす を殺された家康も、必ず味方するものと信じきっていた細川親子も動かなかった。
それどころか、いったんは光秀に味方して、大和から近江へ兵を入れた筒井順慶までが、九日に至ってがらりと態度を変えてしまい、光秀がわざわざ洞ケ峠に出向いて出兵をうながしても応じなくなってしまったのだ。
光秀は雨中の久我こが なわて へ馬を駆りながら、ここで秀吉に一撃を与えるためには、是が非でも天王山を奪還しなければならないと思った。
天王山で秀吉の左翼を押え、山崎街道にある敵の本陣を圧迫しておいて淀城から兵を出す・・・・さすれば秀吉は左右に敵を受けて進撃速度をにぶらせる。
この間に近江から、女婿の明智左馬助が援軍を引き連れて到着する。
決戦はそれからである。
光秀は先ず自分の作戦を細かく胸中で組み立て、組み直してから、つづいて来る溝尾勝兵衛に声をかけた。
「勝兵衛、敵勢およその人数、そなたはどれほどと読んでいるぞ」
「はい、およそ三万七、八かと」
「ふーむ。だいぶそちは怖れているな。怖れていると水鳥までが敵に見える」
光秀はそう言って笑おうとしたが、妙に顔がこわばった。見方の人数は、何度指を折り直してみても一万五千に足りなかった。
山崎表の中央先鋒、斉藤利三としみつ 、柴田源左衛門、阿閉あべ 貞征さだゆき らで五千。
山手先鋒の松田太郎左衛門、並河なみかわ 掃部かもん らの丹波衆が約二千。
本隊の右備え、伊勢与三郎、諏訪すわ 飛騨守ひだのかみ御牧みまき 三左衛門尉さんざえもんのじょうら約二千。
本隊の左備え、津田与三郎の約二千。
本隊の光秀直属隊が約五千・・・・
と、無傷のままであったとしても一万六千という答えが出る。
やがて、その光秀に前に、問題の天王山が円明寺の向うに松をかざし、ゆるい弧線を雨にけぶらせて見得て来た。

「徳川家康 (八) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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