「右大将いずれにおわす!」 なだれ込んできた敵の一人が大声でわめいた。 「明智の臣、三宅孫十郎、みしるし頂戴
に参上! 右大将はいずれにおわすや」 その声の下から、これも手傷を負った味方の一人が、いきなり刀を投げ捨てて、 「小癪な、組もうぞ」 と、飛びかかった。飛びかかったのが誰であるかは御膳には分らなかった。猛り立った闘犬同士が牙を合わせるのに似たもの凄まじい叫喚をあげてもつれ転がる二人の体を、バラバラと四つの影がとび超えて、きざはしぎわに
駆けて来た。 相手はきざはしの上に足をつけたまままっ先の一人が、糸をひくように御前の前へ走り来る。 そして、きざはしの下で何か大声でわめいたが、その次に追いすがった、これは、黒皮の具足に白糸でおどした肩草摺りの逞しい武士の名乗りの声に圧されて分らなかった。 第二の武士は、吼えるような声で叫んだ。 「右大将信長公と覚えたり、明智勢にその人ありと知られた安田
作兵衛 」 御前はその時、パッと一気に薙刀をかざして庭へ飛び降りた。 (いまこそ死ぬとき!) そんな感慨が突風のように頭をかすめたが、そのあとは夢中であった。 小桜おどしのまっ先の一人が、あわてて一歩さがるところを、無双の構えで踏み込みざま、いきなり、下から右へ薙ぎあげた。 しては手にした槍ごと顎
から兜 をはね上げられ、ザザッとあたりへ血の雨を降らしてのぞけった。 「女かッ小癪な」 つづいて作兵衛に襲いかかると、作兵衛は槍を構えたまま、二歩さがって歯噛みをした。 「どけッ、女子供に用はない、どかぬかッ」 御前はフフンと嘲笑
って、ぐいっと一歩前進した。 今の間に充分信長は奥へ入れる。 (これでこそ猛獣の女房・・・・) 「どかぬかうぬは・・・・」 作兵衛は相手に全く退く気もなければ、自分を怖れる気配もないと知って、大きく肩草摺りをうしろへはねて槍をしごいた。 御前の体はまた一歩前進した。 「たッ!」
と作兵衛から槍をくり出すのと、御前の薙刀がうなりを生じて円を描くのとが一緒であった。 カチリと音がしたのは薙刀の刃尖が草ずりの黒皮にふれた音らしい。と、同時に御前はよろよろとよろめいた。 下腹部から脾腹へかけて、ジーンと熱鉄を突きこまれたような熱さを覚え、もう一歩踏み込もうとした足がガクンと折れて膝をついた。 それでも、まだ立とうとした。薙刀を振ろうとした。しかし、それは、前面をさえぎるみどりの扉にさまたげられて動かなかった。 御前の体はそのときすでに芝草の中へうつぶしてしまっていたのだ。 プーンと草の匂いが鼻に入り、首だけ立てて見ると中庭の芝原全体が青い水面に見えた。その水面に点々と倒れ伏した敵味方の死体が睡蓮
の花をうかべたように眼に映った。 |