もし家康が上京して来ていなかったら、信長は、一日の本能寺で公卿どもを仰天させるような大茶会をやっていたに違いない。その道の名器も数多く手もとに集まっていたし、備中の戦に、これほど心の急ぐ結果にもなっていなかったであろう。 何よりも茶会となると堺からお数寄屋
衆 を呼ぶ必要があり、それを呼び集めると、いま堺にある家康の接待に支障を来たしそうであった。 家康はおそらく、宗及
や友閑たちと堺で楽しく茶会を繰り返しているに違いない。 (これがおれの最期になるか・・・・) 信長は、だんだん近づく、太刀打ちの音を聞きながら、 「信長も、おかしな奴よ・・・・」 ろ、思わず口に出してつぶやいた。 「は、安と仰せられました」 「いや、何も言わぬ」 姿勢はいぜん近づく敵を射倒す構えで、頭の中では不逞なまで静に、自分の生涯を反すうしている信長だった。 尾張一の大うつけ。 他人が右といえば左と言い、白いと言えばあくまで黒と言い張った、つむじ曲がり。 田楽狭間や長篠の戦はとにかく、叡山、北陸、長島、高野など・・・・僧俗を問わぬ徹底的な大殺戮
。 七層聳天
の安土城や奇観瞠目
の南蛮寺の建立。 六尺を超えた黒坊主を連れ歩いたり、大砲を積んだ鉄の巨艦を建造し、日本人ばかりかポルトガル人の度胆まで抜いた信長。 前代未聞の、安土と京の大馬揃えをはじめとして、時おりの茶会から、キリシタン文化の輸入にいたるまで、つねに世間を驚倒させ人々の意表をつかなければ満足しなかった信長。 その信長が、いま
「最期」 でもまた日本中を 「あっ!」 と言わせる羽目になった。 (ハゲめが巧々
とくやりくさったわ!) 間断ない敵の喊声の間で、いたずら好きの臍
曲がり、茶筅 つぶりに縄帯時代の野生が四十九歳の信長の体内へ、ごうごうと音をたててよみがえる。しかもそれは、 「人間五十年・・・・」
の予期と覚悟をのり超えて、熱く死の矢を射かけて来るのだ。 「推参
!」 と、間近で切り裂くような声がした。 小姓の高橋虎松が、四尺近い太刀をふりかぶり、高廊へのぼって来た三人の敵をめざして糸をひくように走りだした。 ビュッと信長の強弓から矢が放たれた。 「あっ!」 つづいて二の矢。三の矢をつがえたときに、 「逆賊参れッ」 こんどはいちばん小さい森力丸が、信長の身辺をはなれて弾丸のように御堂の縁へおどり出た。 見ると、先に切って出た小川愛平と兄の坊丸が、背を合わせるようにして五、六人の敵に追いつめられて来ていたのだ。 信長はまた続けざまに三射した。 三射で二人が胸板を射抜かれ、縁から下へ転落すると、あとの人数はさっと視野の外へひく。 さすがに弓をとる信長に老いはなく、その眼、その手、その足と、すべてが強靭な武器であった。 濃御前はその信長に手早く矢を渡しながら、冷やか過ぎるほど冷やかに、良人の様子を眺めている・・・・
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