信忠と源三郎の兄弟は、それぞれ相手の到着時刻を考えてやって来たと見え、 「おお来おった、待っていたぞ」 信忠の姿を見つけて、信長がおどけた身ぶりで中啓
を半開きにしてさし招いているときに、源三郎の列も中門をくぐって来た。 三位の中将信忠はすでに二十六歳の働き盛りだったが、源三郎はまだ前髪立ちの少年。それが、津田
又十郎 、同勘七
、織田九朗次郎らの麾下
、三千余人に妙覚寺へ参集を命じ、備中攻めに初陣しようとして頬をほてらせ、眼を輝かせていたのであった。 「うむ、源三郎も来たの、よしよし、さ、通れ」 信長は先に立って設けの席へ歩きながら、 「それ、客人が到着いたされたぞ、灯をふやせ、灯を・・・・」 そう言えば外はまだ微かに暮れ残っていたが、もはや客殿の中はすっかり夜の気配であった。 小姓たちは小走りになって燭台を増やし、すぐに用意の膳部が運ばれた。 「中将は、家康どのに、公卿衆をよく引き合わせてやったであろうの」 「充分に心しました」 「田舎者ゆえ、家康は相変わらず、妙覚寺でも固苦しゅう控えていたか」 「はい」
と、信忠は何を思い出したのか苦笑して、 「かえって徳川どのにお気の毒なことを」 「お気の毒とは・・・・?」 「考えてみれば、この城
ノ介 は中将、徳川どのは少将でござりました」 「ああなるほど・・・・」 「それゆえ、それがしが引き合わせると、公卿衆は言い合わせたように、中将さまのお供がかのうておめでとうと申される。それがしの供ではない、大切な父君の客人と申しても、いよいよ供扱いにいたしまする」 「ワッハッハッハ・・・・」 信長は腹をかかえて笑い崩れた。 「そうか、そては心づかなんだ。そうか、公卿どもが家康を中将の供あつかいに、
「ワッハッハッハこれはおかしい」 家康には気の毒だったが、しかし公卿の追従で、両者の間に身分の一線がひかれたことが、なぜは信長を浮きうきさせた。 酒が運ばれ、甲府での武辺話があれこれ出た。 備中での毛利勢のこと、羽柴秀吉のこと、高松城のことから、やがて田楽狭間に今川義元を倒した時の手柄話までが座をはずませた。 「そのとき、おれは中将より一ツ年上の二十七であった。のうお濃・・・・」 「はい、あっぱれな武者ぶりでござりました」 「立ったまま湯づけを流し込んで・・・・あれは三椀だったかな」 「はい、三椀、息もつかずに召し上がられ・・・・」 濃御前が、なつかしげに言うと、 「濃、扇!」
と叫んで信長は立ち、 「源三郎、よく見ておけや。人の一生、進むも退くも電光石火でなければならぬ」 きらりと末子の上へ眼を光らせ、それから両袖をそろえていった。 人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり・・・・ 得意の敦盛が口をついて出ると知って、濃御前はすでに小
鼓 をかまえていた。冴えたその音が、朗々とした信長の声とともに古刹
の客殿にひびきわたった。 |