行裕房は連歌の達人だった。彼は光秀がやって来ると言うので、紹巴
法橋 、昌叱
法橋、心前 法橋、兼如
法師、上元坊の大善院宥源
などその道の上手を集めて待っていた。 途中で光秀は大権現に詣でた。そしてお神籤
を三度ひくのを見ると行裕房は微笑した。 「日向さまらしい。が、おみくじを三度とはのう」 むろん光秀に聞こえるように言ったのではなかったが、この陰謀者が必要以上に小心で、神経質であることは、その後の行為の節々のもよく現れた。 彼らは威徳院に集まると、淡々として世間話のうちに興行の支度に入った。 執筆は光秀の家臣で東
六郎 兵衛
と言い、彼は和歌も連歌もよくしたが、特に見事な筆跡をもっていた。 光秀がまず発句
を吐いた。 「時はいま、あめがしたしる五月
かな」 つづいて行裕が、 「水
かみまさる庭の夏山 ──」 とつけていった。 紹巴は何かハッとしたようだった。口の中でしきりに光秀の発句をつぶやき返している。 「時はいま・・・・土岐
(明智氏) はいま、天が下しる五月かな・・・・」 そういえば光秀の様子が、いつもと違う感じであった。ときどき放心したように窓外の風音に耳をかしげているかと思うと、無意識に扇を開閉したり、虚空をじっと睨みだしたりする。 紹巴は若いころから光秀をよく知っていた。いや、光秀よりも信長をもっと深く知っていたかもしれない。それだけに二人が共にある座では、いつも何か息苦しさを感じて来た。 信長が光秀を、ほかの誰よりも強く意識し、光秀がまたそれ以上に意識する。 (この二人の間に、何か不孝な衝突がなければよいが) そんな空想を行裕に話して、行裕に笑われたことがあった。 「・・・・日向さまは律儀者であられるが、右府さまは、日向さまなど念頭にござりますまい」 「──
そんなものかのう」 そのときはそう言って過ごしたのだが、今日は妙に気になった。 (お御籤を三度と言い、時はいま天が下しる五月・・・・と言い・・・・) 紹巴は内心のいぶかりをそのままにして、行裕の、 「水かみまさる庭の夏山
──」 に 「花落つるいけの流れをせき留めて」 とつけていった。 連歌は次々にまかれていった。 この会で光秀の句はすべてで十六句。結びに来て、心前法橋が、 「──
色も香も酔いをすすむる花の下」 と、つけてゆくと、光秀は、そのあとに、 「── 国々はなおのどかなる時」 と詠じ、その下へわが子十兵衛光慶の名を書かせた。 ここでも
「時」 にかぶせて 「土岐」 が出て来た。 (これはおかしい。何か考えているようじゃが・・・・) 紹巴は気になるままに、連歌が終わり、湯づけを摂
ってみなが寝所に引き取るまで、じっと光秀を観察しつづけた。 |