「おお、昌次か・・・・秋山紀伊は何としたぞ」 勝頼は、そこに刀を杖にして立っている相手が幽霊ではないと見きわめるまでにしばらくかかった。 それほどおぼろ月は、傷ついた土屋昌次の姿を真っ蒼なかすかなものに見せていた。 「昌次、どうしたのじゃ、気をたしかに持て、秋山紀伊は何としたぞ・・・・」 「討ち死に・・・・」 「小原下総は?」 「討ち死に・・・・」 「弟の昌恒は何とした?」 「討ち死に・・・・」 おなじことを半ばうつろに答えてから、昌次は立っているのに耐えられなくなって、よろよろと二、三歩泳いで月光の中に坐った。 「この昌次・・・・妻子のそばで死にとうて、一人でここまで戻って来ました。お館さま、は・・・・は・・・はやくご最期を・・・・四方はみな敵にござりまする」 「分っておるは」 はじき返すように答えて勝頼はなぜかブルルと震えていった。 すでに自分も死んでしまっているような錯覚に捕らわれていた茫然さから、急にまだ生きている事に気のついた怖えであった。 (みんな幽霊になっているのに、わしだけが生きている・・・・) それを悟らせたのは、妻子のそばで死にたくて、よろぼい戻った昌次だったのだが・・・・ 「昌次・・・・」
次に叫んだ時の勝頼の声はゾーッとするほど陰気なひびきを持っていた。 「そち、その体で、この勝頼の介錯が出来るか」 出来まい。出来るものか・・・・と思ってゆくと、このままここは遁
がれて、どこかで再起を計るのが、家系に対する自分のつとめではあるまいか・・・・と、そんな思案が動いて来る。 「介錯・・・・」 月光に半ば溶けた口調で昌次はつぶやいた。 「仰せ・・・・仰せとあらばいたしまするが、もうこの手足、思うままには・・・・」 「動かぬと申すのか。無理もない・・・・そちは疲れ切っている」 「いいや・・・・仰せとあれば、介錯いたしてお伴を・・・・それが、われらの勤めゆえ」 昌次は心からそう信じているらしく、這
うようにして勝頼に近づくと、 「いざ、ご辞世を・・・・みな・・・・みな・・・・ご世辞をなされました」 「おお、世辞をな」 勝頼は狼狽して、思わずそっとあとずさった。 死なねばならにと思いつめている昌次が、ふっと憎くなり、それから自分にはげしい嫌悪を感じていった。疲れ切っている主従の間でまたひとしきり時が経った。 「いざ、ご辞世を」 「おう、おぼろなる、月もほのかに雲かすみ・・・・晴れて行くえの、西の山の端
・・・・」 「西とは浄土・・・・ありがたし、昌次これに書きとめて・・・・われらも辞世つかまつりまする」 「おう、そちが辞世、心に刻もう」 「はいッ、おもかげの・・・・」 昌次は這うようにして勝頼の顔をなつかしげにさしのぞき、 「おもかげの、身をしはなれぬ月なれば、出ずるも入るも同じ山の端・・・・」 そういうと、また刀にすがって、よろよろと立ち上がった。
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