やがて高原の陽はおちた。 気がつくと少し離れた草むらの中に、白木蓮
の大木が一本、いっぱいの花をつけて立っていた。 その花が、鮮やかに眼立って来たのは、それだけあたりが暗くなったせいであろう。いつか、勝頼の身辺には誰もいなくなっていた。 土屋兄弟も、敵が近づいたといって駆け出して行ったし、長坂釣閑と、太郎信勝とはすでに右手の草むらで切腹して果てていた。 もう女たちも一人として生きている者はない。そこここに累々
と屍をさらして空しく生を終わっている。 ── お館のおそばに敵は近づけさせませぬ。その間に、少しも早う」 土屋兄弟がそう言って駆け去ったような気がしたが、その記憶もおぼろであった。 いま勝頼の脳裡を占めているのは、新羅三郎依頼、連綿として二十余代にわたって続いて来た清和
源氏 の名家が、ここでこのまま消滅してゆくのだという、きびしい事実だけだった。 (何のために・・・・) と、考えると、総身の血が凍って来る。 (それほどおれは不肖の子であったのだろうか・・・・?) そう思えば、それは、もはや、それ以上の大きな約束事だったようにも思えて来る。 義家
、義光 兄弟の頃から、つねに太刀に血ぬって戦って来た家柄だった。その太刀についた血の呪いが、ついに、ここで支えきれない業績となり、この結果へ導いたのかも知れない・・・・ その中で、たった一人、小田原御前だけが際立って美しかったというのは何を意味するのであろうか。 殺したものは殺される・・・・とすれば、御前だけは殺さないのに死んでいったせいであろうか。 「御前・・・・」 すでに冷え切って硬直し出してきた妻の体を勝頼ははじめてそっと草の上へ手離した。 そして、もう一度うつろにあたりを見廻して、思わずギクリと胸をおさえた。 あたりいっぱいに散乱している女たちの屍体の中から、ゆらり、ゆらりと虚空へ人魂
が立ち出したのに気づいたのだ。 いや、それは人魂ではなくて、すっかり暮れおちた高原に、おぼろ月が出て来て白い下着に反射してゆくのかも知れなかったが、しかし勝頼にはそれがたしかに人魂に見えていった。 その人魂の一つが静に勝頼の前に立った。 「──
おぼえていやるか。この私を」 「あっ、う・・・・う・・・・うぬは、おふうだな」 勝頼は思わず太刀に手をかけて、 「うぬはおふうだ。鳳来寺
の陣中で、磔 にかけた奥平が人質のおふうに違いない」 おふうの亡霊は
「フフ・・・・」 と笑って、小田原御前の亡がらを指さした。 死んで鬼になろうと十字架の上で言いつづけたおふう。 いつか必ず、勝頼のいちばん愛をしい者に祟
ってやろうと言ったおふう・・・・ 「うぬッ!」 太刀を抜いて、ぱっと横に払って、瞳をこらすと、そこにはもはや人魂はなかった。 「お館さま!」 と、うしろで声がした。満身手傷を受け、刀を杖にしてよろぼい戻った土屋昌次だった。 |