小田原御前は、勝頼が寄っていってもことさらに視線を避けて黙っていた。どこで手に入れたのか、輿の上から百姓蓑
がかかっている。窓は開かれて、夕闇に浮き出た御前の半面は、怒っているようでもあり、全然無感動に硬直しているようにも見えた。 「御前、ほどなく轟村の寺に着こうぞ」 勝頼はそれだけ言うと、あわてて輿のわきから馬を離し、そのまま先頭に立っていった。 小山田信茂までが自分を見捨てたとはどうしても信じられない。やはりこれは、滝川一益の手の者が寺僧を脅
かしたものと思いたかった。 馬を急がせて、轟村へ着いた時には具足も髪もぬれそぼれていた。 すでに、松明
も使い果たしてわずかに先頭の土屋昌次兄弟の手にあるだけだった。 万福寺の灯りを認めて昌次が先に山門をくぐっていった。その間に勝頼は馬を停めて、老杉
の下に声もなく集まってくる人々の群れを、数えてみた。 つつじが崎の館から連れ出したときの兵数は一千、女たちは二百四十人ほどであったが、それが今では男女合わせて四百人いるかどうか分らなかった。 「お館さま、万福寺の住持は快く宿を引き受けましてござりまする」 「そうか。それはかたじけない」 一行のうち、勝頼夫妻と太郎信勝、それに土屋昌次兄弟の女房と子供たちだけが客殿に講じられ、あとは本堂、廻廊、庫裡
と、ただ雨露をしのぐだけだったが、それでも人々の面には言い知れない安堵がうかんだ。 さっそく庫裡で、手分けしてすいさんにかかった。 まだ小荷駄の手には三日分ほどの米塩があり、それの尽きるまでにいずれか身の振りかたを決めなければ、五ヶ国の太守が今は流浪の民だった。 形ばかりの食事の済んだのは、すでに夜更け、客殿に立てまわした屏風
のうちに講じられると小田原御前は、はじめて勝頼を見上げるようにして笑ってみせた。 「御前、小田山信茂は必ずわれらを迎えに参ろう。今宵はゆっくり休むがよい」 「はい」 素直にうなずいてから、 「迎えなど来ずともよろしゅうござりまする」 と、また笑った。 その夜はみんなが死んだように眠った。 そして夜が明けると、さっそく使者を峠の向うへ出したのだが、その使者は二日経っても三日経っても戻って来なかった。 四日目に、織田勢の先鋒がいよいよ甲府へ入ったという知らせがあった。 そうなっては、もはやこの寺へもとどまれない。 とにかく岩殿へ目指して出発することになった。 その間にも、また一人去り、二人去って、万福寺を出発する時には男女合わせて三百人に足りなかった。 二百四十人の女たちもまたいつか七十人ほどになり、残った女たちは、みなそれぞれ一行の中へ去りがたい愛情のきずなを持った者だけになっていた。 そのころから小田原御前の表情は底抜けの明るさを加えてきた。 何も人生の苦を知らぬ童女・・・・そんな表情で、万福寺を出たときには、すでに輿もなく徒歩
であった。 |