御前の予感はあたっていた。 小山田信茂からに迎えは軍勢ではなくて使者であったとあとでわかった。 勝頼がつつしが崎の城を出て新府へ向かったとき、 「──
とにかく城へ入らせられまするよう」 そう言って勝頼のあとを追わせて来た者が二人あった。 一人は小山田信茂で、もう一人は上州沼田
の城主真田
喜兵衛
昌幸
であった。 おそらく勝頼は、自分のうしろに足弱な女たちの行列がなかったら、父信玄の近侍、六人衆の中でも特に信任の厚かった、真田昌幸のもとへおもむいたに違いない。 が、足弱な行列を従えては上州の沼田はあまりに遠い。そこで一も二もなく相模に近い猿橋より約二十丁ほど北にある小山田信茂の岩殿城へおもむくことに決めたのだった。 勝頼に叱られると、小田原御前はしばらくじっと立ち尽くしていたが、 「仰せとあれば是非もないこと・・・・」 そのまま輿に乗って眼を閉じてしまった。 相模に近い岩殿城を選んだのは、万一の場合、御前の生命を助けたいため、勝頼にそう言われたのが御前には心外でたまらなかった。 勝頼と別れて自分一人で生き残る・・・・そんなことは考えられない今の御前の気持ちであった。 何かしら自分の知らない冷たい風が吹きつけている。が、たとえ、どのようなきびしい風にあっても良人と二人でいる限り、楽しい風に感じられる。 (二人が離れさえしなければ・・・・) それなのに勝頼は、小山田信茂の岩殿城へ着いて、御前を相模へ送り返すと言えば、御前が喜ぶものと信じているようすだった。 (どうぞ神さま、この列、岩殿へ着けませぬように・・・・) その夜はとにかく晴れていた。霜夜の闇に松明の灯が長くつづいて、ほとんど行列も立ち止まらなかった。が夜が明けてみると、翌日の太陽は深い雪の奥にあり、名物の北風が甲府盆地を縦横にひっかきまわしていた。行列はときどき森に中や岩かげで歩きかねたように立ち止まった。 「あ、あれにつつしが崎のい館が見えまする」 「なぜあのお館に入られぬのであろうか」 「もはや、あれは敵に手に渡りましたそうな」 「いやいや、まだ敵が来たのではなく、謀反人が敵に引き渡すため固めているとのことでござりまする」 輿わきのそんな会話を、小田原御前は冷然と聞き流していた。 (わが殿は、戦いすぎたのだ・・・・) それゆえ神仏が、このあたりで、御前とゆっくり休むがよい・・・・そう言っているのを、わが殿はまだお気づきなされぬのじゃ・・・・ その日の暮れ方、一行は以前に坂東山と呼んだ笹子峠
の麓
までたどりついた。 すでに落伍者が、男の中からも女の中からも出て来ていたが、御前はそれを知らなかった。 一行が駒飼
の恵林
寺
にたどりついて、足弱の宿を頼んだころは、ポツリポツリと雨が降り出していた。このころの雨は、まだ降り出すと必ず霙
か雪になった。宿を乞いに使いして来た土屋昌次の弟昌恒が、 「女人
禁制の寺でございますればお宿はいたしかねると申されました」 それを聞くと、先頭の勝頼は、 「何、宿をいたしかねると」 血相変えて自分で馬を山門に乗り入れた。
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